「鉄路の行間」No.6/谷崎潤一郎が『吉野葛』取材で乗った吉野鉄道
『春琴抄』や『細雪』のイメージが強い谷崎潤一郎にしてみれば、随筆的な『吉野葛』は異色作かもしれない。後南朝をテーマにした小説の想を得るため、彼は吉野にしばしば通った。この作品は、1912〜23(大正元〜12)年の吉野取材をモチーフにした作品である。
時期が特定できるのは、吉野鉄道が登場するから。現在の近鉄吉野線の前身である。吉野口〜吉野間の開業が1912年。谷崎は「ガタガタの軽便鉄道」と表現している。当初は蒸気機関車が小型客車を牽引する、まさに軽便然とした鉄道であった。
しかし新線建設と電化を目論んだ吉野鉄道は、1923年に橿原神宮前までの延伸を果たし、最新式の電車運転に切り替えている。『吉野葛』は1931(昭和6)年発表。作品中の鉄道風景はもうなかった。
そもそも、谷崎が降りた駅は現在の吉野駅ではない。1928(昭和3)年に現駅へ延びるまで、今の六田駅が吉野駅であった。車両基地が併設されている広い構内や、この文豪が立ったであろうプラットホームの跡が、かつての”花の吉野”の玄関口の名残だ。
作中、「近頃は、中の千本へ自動車やケーブルが通うようになった」と記されている、現在の吉野ロープウェイの開業は1929(昭和4)年。南朝の後裔が立て籠もった深山幽谷に分け入る風情は、次第に失われつつあった。作家は、それも意識して執筆したのかどうか。