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学級崩壊

小学校4年生のとき、学級崩壊していた。男子も女子もヤンチャな子が多かったので、クラス分けの時点で失敗していたのだと思う。

担任の先生は女性で、年齢は恐らく50歳前後だったのかなと思う。ベテランということで、ヤンチャなクラスを任されたのかもしれない。

クラス替えの初日、先生は黒板に名前を書いて、自己紹介をしてくれた。名前の漢字か由来の話と、地元の伝統工芸品のイベントに毎年行く話。お手本のような爽やかな挨拶だった。
しかし私達4年1組は、度々先生を泣かせた。

4年1組が調子に乗った日々を送っていたある日、クラスの男子2人が学校を抜け出した。私達はそれを『脱走』と呼んでいた。授業が始まる時間になっても彼らが教室に戻らなかったので、何人かが「呼んでくる!」「探してくる!」と言って、さらに教室から人が減った。他の教室で授業が始まっても、うちのクラスの生徒はその静かな廊下を走り回っていた。
結局、彼らは小学校から出ていってしまったので、捕まえられなかったとクラスメイトは言った。その後どうなったかは覚えていないのだが、後から彼らのその後の行動を聞いた。

彼らは小学校を脱走した後、近くの公民館に行き、そこで自転車を盗んで、不登校のクラスメイトのアパートに行っていた。公民館で自転車を盗らなくても、小学校のすぐ近くに彼らの家も、自転車もあるというのに。
後から先生達に怒られた時には、自転車を盗んだことは隠して話したらしい。
不登校のクラスメイトは焼きそばか、炒飯かを作って食べさせてあげたらしい。彼の作ったそれが美味かった!と言っていた。
小学生が不登校で、料理が上手なんて、彼は普段どんな日常を過ごしているの?と思ったが、彼は徐々に学校に来るようになった。週に1回とかお昼からとかでも、彼が来たらみんな盛り上がった。そこだけは良いクラスだった。

授業中に手がつけられなくなると、担任は教頭先生を呼びに行くというのがいつもの流れだった。クラスメイトが「担任はいつも教頭にチクりに行くよな」みたいなことを言っていたのも覚えている。始めは教頭が廊下まで来て、顔を覗かせるだけで空気がピリッとしていたが、徐々に慣れていった。すると今度は恐い顔で教室の後ろに立つようになったが、最終的には担任が泣きながら呼びに行って、教頭が顔を真っ赤にしてすごく怒りに来た。
でもどんなにサボっても、ふざけても大きな声で注意することしかできない、というのが分かっていたのかもしれない。先生というのは、ちゃんとした大人で、自分達に危害を加えない、安心できる存在という甘えだったのかなと思う。
私はぼーっとした奴だったのか、何をやらかして担任を泣かせていたのか全く覚えていない。クラスメイトが「担任はいつもチクリに行くよな!」と言っていたのを聞いて、担任が教室に戻ってきた後、しばらくすると教頭が見に来るのは、呼びに行ってたのか!と心の中で密かに驚いていた。
それでも私も調子に乗っていて、掃除の時間はサボって、6年生の男子に怒られていた。でも、普段教頭に真っ赤な顔で、ド迫力で叱りつけられているのだから、6年生の怒りはあんまり効かなかった。それに彼はヤンキーみたいなタイプではなくて、生徒会長のようなタイプだったので、安全だと思ってサボっていたように思う。人を選んでいた。

ある日の教頭は黒板に『朱に交われば赤くなる』と書いて、意味を知ってるか聞いてきた。4年1組は全員知らなかった。朱っていうのは赤い色で、お前達の中にいる何人かのせいで、赤くなるんだぞ〜みたいな話だった。この日全員がこのことわざを覚えた。

ひらめき系のクイズを出してくれた時もあった。

                                                                        B
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A

川を渡ってAからBに行きたいです。橋を1本だけかけることができますが、橋を斜めにかけたり、陸を歩いたりしてはいけません。





正解は



AからBまでの幅の広い橋をかけるでした。



私は担任にひどい言葉言ったり、態度をとった記憶はないのだが、というか、誰かが担任を攻撃していた記憶も無いので、気づいたら、教頭先生を呼んでいたり、『脱走』事件が起きていた。何も覚えていない。

その後、5年生、6年生とクラス替えがあり、私の担任はずっと男性の先生だったこともあり、学級崩壊は起こらなかった。

実は高校生の時、眼科で、担任の先生に再会した。顔を見て気づいた。そして私は眼科の人に名前を呼ばれた。私の苗字は珍しい。だから先生は私に気づいたと思うのだが、顔を上げなかった。声をかけてほしくなさそうだったので、私はそのまま帰った。

その時の様子を見て、思った。
小学校4年生の時、私は何かしたんだろうか。私達はどんなことをして、どれほどのストレスを与えていたんだろう。私にとっては楽しくてワクワクした日々だったような気がしていたけど、先生にとっては、地獄の一年だったのかもしれない。数年では癒えない傷を与えていたのかもしれない。ごめんなさい。

今年、初めて先生の好きな伝統工芸品のイベントに行く。

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