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トルコ語できるようになるさ、きっと

私は言語を学ぶのが好きだと胸を張って言えない。


韓国語に中国語、スペイン語にオランダ語、フィリピン語など新しい言語に手を出しては、一瞬でその手を引っ込めてきた。

あの初歩の初歩の簡単で楽しい部分を通り過ぎると、文法も単語もめんどくさくなって、ほっぽり出す。


それでも懲りることなく、次に手を伸ばしたのがトルコ語だった。

たまたま大学でトルコ語の文法についての授業が開講され、
それを受講すると同時に、Duolingoを始めた。

その頃は、トルコに長期留学するなんて思ってもみなかった。


時々、言語を学んで何になるのか、と考えることがある。

言語を学習するには時間も労力も(お金も)かかる。

なによりモチベーションの維持に苦労する。

三日坊主野郎の自分は、毎日これだけはする、と決めたこともすぐに守れなくなる。


それでも私が言語学習に懲りないのは、

言語を通して人々の思考や文化、歴史などについてより知れた瞬間が面白いからだろうな、と思う。


そして、
世の中にはこうゆう人間もいるんだ、
こんな考え方もあるんだ、と知っていくことで、

自分の生きる世界の幅のようなものが
広がっていく感じがする。

例えば、日本語の「すみません」や「大丈夫」「お疲れ様です」には、
なんとも日本人らしさがにじみ出ている。

相手を思いやり、他人に迷惑をかけないように気遣う、といった
日本人特有の心が表れているように思う。

「いただきます」「ごちそうさま」には、
有難みを忘れないという気持ちが表れていて、
口に出すことで改めて命の大切さに気付くことができる。


このような言葉はどの言語にもあると思っていて、トルコ語では、

働いている人に対して
「Kolay gelsin.」
(直訳すると、あなたの仕事が簡単にできますように。
使い方は「お疲れ様です。ご苦労様です。」に似ている。)や、


くしゃみをした人に
「çok yaşa.」(長生きしてね)と言い、
言われた人は
「sen de gör.」(あなたも見ていてね。)と返す


料理を作ってくれた人に対して
「elinize sağlık.」
(あなたの手が健康でありますように。)などといった言葉が挙げられる。

このように、ある特有の言語にしか見られなくて、他の言語には訳しにくい言葉は、

その言語を使っている人々の文化や心情までもが見える気がしていて面白い。

だから私は、いろいろな言語を学ぶことを止められないのかもしれない。


冒頭で少し触れたが、
私は2024年2月からトルコに一年間の交換留学に来ている。

ほとんどトルコ語が分からないまま住んでみて、

自分の五感を使って言語も文化もまるごと学んでいる最中だ。

とは言いつつも、実際にトルコに暮らしてみて、まず学んだことは、

人間、言葉が分からなくても生きていけるんだ、

ということ。

困ることは多々あるし、損や失敗もあるけれど、全然生きていける。


もちろん、
日本語学科で日本語を勉強している友人や、

親切すぎるトルコ人たちに大いに助けられているおかげではあるが、

慣れれば日常生活には困らない。


でも、まだまだ分からないことばかりで悔しくて、
知りたいことも、仲良くなりたい人もいるから
中途半端で辞めるわけにはいかない。


トルコ人は親切で愉快な人が多く、
私がトルコ語をもっと話せるようになれば、
人生さらに楽しくなるに違いない。



最後に、トルコ人のルームメイトがよく歌っている歌を紹介する。

知りたいけど面倒くさい 面倒くさいけど気になる アホになりそう

ウルフルズ どうでもよすぎ

彼女は日本語を学んでいて、ウルフルズのファン。

日本語を知りたいけど、漢字も敬語も面倒くさい。でも気になる。

私も彼女と同じでトルコ語を少しでも早くできるようになりたい。

だけど、机に向かうのは面倒くさい。

でもみんなが何て言ってるのか気になる。

だから、きっと、トルコ語ができるようになってやる。

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