ポスト感情論ってなんですか | 感情論再考
私の記事にはいくつか【ポスト感情論】というトピックがある。そういえば、この言葉について何も説明らしい説明をしていなかった。
これは私の造語だ。「感情論」に接頭辞の「ポスト」をくっつけて、ポスト感情論。
言葉の説明をする前に、少しライチくん自身の話を挟ませてほしい。
いいかな。失礼します。ありがとう。
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以前からずっと「感情とは何か」について興味があった。
物理的な実体もないくせに、それが生じるたび私自身に莫大な影響を及ぼすからだ。そのことが、不思議でしょうがなかった。
小難しい書き方をしたけど、要するに自分は「めちゃくちゃ感情的な」人間なのだと思う。自覚がある。
具体例…はなんかちょっと恥ずかしいので割愛するが、
それが私にとってどれぐらい影響力があるかというと、
物質ではないはずなのに「ふつうに質量を感じる」。
津波とまで言うと不謹慎かもしれないが、海で大きめの波をまともに食らうぐらいの衝撃が、身体感覚として存在する。
…これで伝わるのか自信がない。
わかる人にはわかるはずなんだけど。
誰でもそんなものなのかと思っていたら全然違うみたいで、周りとの感覚のズレに10代ぐらいでショックを受けたのをうっすら憶えている。
そして近年になってやっと、過度激動(OE)という概念を知った。(知能検査は何年も前にやったが、その時は教えてもらえなかった。)
「あっ、感情の制御が難しいのは自分のせいじゃないし自分だけじゃないんだ、、」と救われた気持ちにはなったけど、
それはそれとして、
この感情の波をちゃんと乗りこなせないと私は一般社会で生きていけないのではないか?
平安貴族みたいに「あまりの悲しみで死亡」とかするんじゃないか?
いや流石に2つめは盛ったが、
とにかくそういうちょっとした危機感を覚えた。
だって、年齢とともに波も衰えるとか全然ない。
むしろ人生経験が増えるほど、半強制的に外界への感情移入トリガーが増えていく。
そして誰もが「当たり前にそう」というわけでもないのなら、
その方法は自力で編み出すほかないのではないか?
幸い、知的好奇心にだけは少し恵まれていた。
分野を問わず、興味があれば手当たり次第本を読んだり動画を観たりした(いい時代だね)。心理学、精神分析、哲学、宗教、スピリチュアル、自然科学と数学的思考。
心とか意識とか感情にはいろんなアプローチの仕方があって、だんだん面白くなってきた。
…そうやって最終的に生まれたのが、
理屈で叩き込んで主観に作用する、
感情理解と制御のメソッド。
【ポスト感情論】です。
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はい。ありがとうございました。
名前の説明に戻ります。
私がずっと気になっているのは、
感情論を含む「素直な感情表現」が、一般的にけっこう軽んじられているところがあるのかな、ということだ。
いや…私は自分の感情コントロールに長年コンプレックスを抱えていたので、ただの私の勘違いならそれで全然いいんだけど、
もし、感情を抑圧する(制御じゃない。これ重要)ことが“一人前の大人”の条件に暗黙のルールで組み込まれているのだとしたら。
それはちょっと…だいぶ…歪んでるなと思うのは私だけだろうか。
そしてもうひとつ、
私はたまたま自分のために理屈を組み上げる程度の言語化スキルを持ち合わせていたけれど、誰もがそれを当たり前に有しているわけじゃない。
むしろ感性が豊かな人ほど、その独自で素敵な質感を、どんな言葉にも当てはめられず苦しんでいることが多い。
繊細さんと呼ばれる人々もそういうところあると思う。
それを察することもできないような共感力5(ゴミだな…)みたいな人間に、
「感情論ウザい」「論理的に話せよ」
と上から目線で評価されるのは正直たいへん心外だ。
お前はアサーティブ・コミュニケーションを会得してから出直せ。
…口が悪くなってしまった。ごめんなさい。
そういうわけで、
感情論の評価の低さを(私だけでも)改められたらいいな…(私だけでも)ちゃんと理論として整備していけたらいいな…という展望を込めて、
ポスト感情論、という造語を冠している次第です。
↑一番それっぽく書いてる記事
読んでくれてありがとね。
おわり。