新時代に感じる変化の風。
10連休や元号が変わったりと不思議な時間の流れを感じる今日この頃。
時代が変わった、めでたい。
でも、時代が変わった事を祝う以上に、時代を変えようとした行動こそ賞賛すべきで学ぶべきことも多いのではないだろうか。
そんなことを思い、書きました。
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<時代が変わるのは行動した人がいるから>
すごく正直にいうと、今日まで僕は元号が変わることに特に何も感じていませんでした。
令和になることで僕の日常に起こる変化はほとんどない。
それより、何でもお祭りムードにしてしまう国民性とか世間のあり方に感じた疑問の方が強かったです。
でも、改めて”元号が変わる”ということを捉え直すと疑問や無関心が少しづつ変化していきました。
明治以降、改元は天皇が亡くなられることで皇位が継承されて起きるものだったが、今回は自らの意思で皇位継承し生前退位された。
これが今回の改元の大きな変化と言え、海外のメディアも多くがこの改元を取り扱う姿を見てようやく事の大きさに気づきました。
今回の改元に限らず、多くの人が注目するのはこれまでと何か違う”変化”があるからだと考えます。
そして今回の”変化”とは結果ではなく過程の中にあるのではないか、天皇陛下の姿を見ているとそんな風にも感じることができました。
この生前退位についての経緯などは他の記事の方が詳細で確実なのでそちらに譲りますが、あえて僕の目線で伝えたいのは、”これまで続いてきた伝統に新しい切り口で行動した”という点です。
国単位の話や歴史としての意味合いは大きすぎてピンとこないけれど、1人の人間の歩みと考えれば親近感もわきます。
天皇という1人の人間が決断を下し、その役割を果たし、全てを終えて新しい時代を迎えた。
それってとても壮大な出来事で、エネルギッシュな行動だと思うんです。
自分たちの身近な話に置き換えても、仕事のルールや決まりごと、覆すのは中々簡単ではない。
それを国家単位にもかかわらず挑戦し、見事に目的を達成した。
続いてきた事に従うのではなく、自分で考えて変化を起こす姿勢は僕自身もっと見習わなくてはならないと感じました。
<より良い変化に願いを込めて>
僕個人の話に戻ると、最近よく聞く平成最後のOOというのがなんとなく苦手でした。でも自分なりの新しい時代の迎え方を考えた後だと、形はどうであれ毎日の出来事に意識を向けることは悪くないように感じてきました。
時代は変わる、でも日常は変わらない。
それって”変わらない日常の中に変化する可能性がある”と捉えることもできると思うのです。
大切なのは”これまでなかった行動を起こすこと”で、これまでなかった行動を知るには、今している行動を意識することが必要不可欠だと思います。
時代を変えるには至らずとも自分を変えるのには十分ではないかと思います。
結局は自分の発想次第でいくらでも毎日を変えていけるのではないかと思います。
自分の発想を変えるという点で僕の好きな言葉があります。
人生には2つの生き方しかない。
1つはまるで奇跡など存在しないかのように生きること、
そしてもう1つはすべてが奇跡であるかのように生きることだ。
-アルベルト・アインシュタイン-
何でもお祭りムードだっていいのかもしれない。
自分が変わるきっかけになれば。
天皇陛下が示した生前退位という姿勢のように。
令和の時代は色んな人が色んな形に変わっていける時代であるといいな。
そんなことを思います。
ライ