1年後にも思い出したい心掛け。-出会う人が自分を創る-
小さな出会いがきっかけで度々、社会人の話を聞きます。
それらの話で共通しているのは、学生時代と社会人では少なからずギャップはある、ということでした。
全力を尽くして就活をして会社の事を理解したとしても、やってみなければわからない事はやっぱりあるようです。
そんな毎日は大学生の段階からは予測不可能で、社会人になって初めて物事にどう向き合うかの判断を迫られます。
今はその判断材料を増やす事がやるべき事のように感じます。
そして、そんな予測不可能な日々に向けて僕が常日頃から感じている意識が繋がるような気がしました。
それは、想定外の事が起こった時にその人の本質が見える、もっと言えば小さな言動、所作の一つ一つに本質は現れるという事。
だから、そうした時にこそ誠実でありたいという意識を自分なりに大切にしています。
こうした綺麗事も今ならいくらでも言えますが、実際に困難にぶつかるとそうした事を言葉にすることすら出来なくなってしまうような気がします。
そんな時には昔の文を読み返すのがいいんじゃないかな、と僕は感じています。
昔の文章、昔の自分に出会うことって素敵だと思うんです。
過去のアルバムを見れば当時の自分を思い出すように、過去の自分の言葉から自分の理想、気づき、感情を見つめ直して今に繋げる事が出来る。
そんな思いも込めてまたnoteは書きたいな、そんな事を思いました。
そして最近、素敵だなと思える行動指針に出会いました。
”人は人でしか磨かれない。”
ダイヤがダイヤでしか磨く事が出来ないように人も人と関わり合う以外に人格を育む事は出来ないのだ、という考え方です。
妙に頷けるものがありました。
冒頭に述べた社会人としての困難など、今の自分に見えないものも、すでに誰かの通った困難の道かもしれないのです。
1人で考え込んでもできる事は少ないですし、1分で思いつく事と1時間で思いつく事は80%同じであると聞いたことがあります。
出会う人が自分を創る。
外に出て、自分の横の世代の人、上の世代、下の世代、あらゆる人から貰える刺激を大切にして、出会いを増やしていく。
そんな意味合いが"人は人でしか磨かれない"に込められているのではないかと思います。
そう思ったら誰かに出会うのもワクワクします。
明日はどんな人に出会えるだろう?
出会えた時、自分は相手にどんな存在として映るだろうか?
良い出会いの為に、良い自分でいる。
そんな意識を大切にしたいと思います。
ライ