あやかし生徒会はお化け対策で手いっぱい ファイル4『プールサイド・ドッペルゲンガー』
ファイル4 プールサイド・ドッペルゲンガー
「ああ、遅くなっちゃったなあ」
私は生徒会の打ち合わせに参加するために急いでいた。
放課後一度家に帰る用事ができてしまったので、また学園に戻ってきていたのだ。
スマホは学園内ではカバンの中に入れておかないといけないので、何度か連絡を取ってみたが、会長のアウラは出てくれなかった。
「こっちの方が近道かな」
聖エーデル学園は敷地が広いので、ショートカットできるルートがいくらかありそうだった。
私は方向的に近道になりそうな今は使われていない屋外プールの脇を通って生徒会室に向かおうとした。
ちなみになぜ屋外プールが使われていないかというと今は屋内に綺麗な温水プールが新設されているからだ。
緑が適度に配置された立派なプールで初めて見たときは高級ホテルの施設かと思ったほどだ。
さすが金持ち学園、設備投資がすごいよ。
私が屋外プールの横を走って通り過ぎようとしたとき、目の前でふたりの人影が視界に入ってきた。
ふたりとも後ろ姿だったから顔は見えなかったけど、ひとりはアウラだった。
あっ、なんだ。アウラがこんなところにいるんだったら、生徒会室に急いでいかなくても大丈夫だ。
もうひとりの男子生徒は見覚えがある気がしたけど……名前が出てこない。
頭に手を当ててふらついているから具合が悪いのかもしれない。
「まだ頭がふらふらするぜ」
「だいじょうぶ? プールのベンチまで行って横になる?」
「ああ、そうするよ。悪いな」
「ううん、私、あなたの彼女だもん。心配するのは当たり前のことじゃない」
私も具合の悪そうな男子生徒を助けようと思ったのだけど、アウラが発した彼女という言葉に体が急停止する。
えっ、えっ、彼女? どういうこと?
なんだか自分の存在がばれてはいけない場面に出くわしてしまったかもと動けないでいると、アウラと男子生徒は屋外プールの方に向かって行った。
どうしようかと思ったけど、いい雰囲気なふたりを邪魔するのも悪いよねと感じてしまう。
とりあえず私は当初の予定通り生徒会室で待っていて今の光景は見なかったことにしようと心に決めた。
◇
「遅い! 何やってたのよ、綾花!」
驚いたときって悲鳴が上げるものだけど、目の前の光景は私にとって恐怖でしかなかった。
生徒会室に入るとアウラが私の遅刻に対して文句を言ってきた。
どういうこと!
アウラに遅刻のことを謝る?
あの男の子とはどうなったのと聞く?
そもそもあのプールにいたアウラは人違いだった?
いや、人違いのはずがない。髪を染めることが禁止されている聖エーデルで金髪の生徒はドイツ人の血が入っているアウラしかいない。
「アウラ、あのね、私、ひとつ今すぐ言わないといけないことがあるの」
「奇遇ね、綾花。私もひとつ言わないといけないことがあるのよ!」
アウラにそう返されて私への皮肉かと思ったけど、アウラはそんなつまらない駆け引きをする性格じゃない。
つまり本当に今すぐ言わないといけないことがあるんだ。
そう思って見ると、私が遅刻してきたこと以外で何か焦っているんだと感じた。
「じゃあ、アウラから、どうぞ」
「いいわよ、綾花からで……なんて遠慮してたら不毛だから同時に言いましょう」
アウラらしい。そう考える暇もなくアウラがせーのと言葉を発する態勢にはいったので、私も慌ててさっき見たことを告白する。
「アウラがさっきプールでもうひとりいたの!」
「うちの生徒会のメンバーがひとり消えたの!」
私とアウラはお互いの話に同時にええっと叫んでしまった。
けれども、生徒会のメンバーが消えたということの方が重大事件なので、私はアウラの話を先に聞くことにした。
「アウラ、どういうこと、生徒会のメンバーが消えたって!」
「綾花、覚えてない? 同じクラスで副会長の砂緒が消えたのよ!」
砂緒、副会長……アウラの実体をそなえたような衝撃の言葉によって私は思い出した。
まるで私の頭の中に立ち込めていた深い霧がさっと消えてしまったようだった。
「そうだ、小太刀砂緒さん、なんで忘れてたんだろう」
「あの東階段の階段を下りて異世界に行っちゃったのよ、それで私たちの記憶ごと砂緒の存在が消えていたのよ」
「でも、アウラ、なんで今私たちに砂緒さんの記憶がよみがえったの?」
「そこまではわからない。でも、何かきっかけがあるんだと思う」
そこまで話して、きっかけという言葉にアウラが反応する。
「そうよ、さっき私がもうひとりいたって、綾花言ってたでしょ」
「そ、そうなの。今は使ってない屋外プールでアウラが気分の悪くなった男子生徒を介抱してて……」
もうひとりのアウラが砂緒さんの記憶とどう関係あるのかわからなかったけど、私の中で突然そのふたつが繋がった。
「思い出した! もうひとりのアウラが愛の告白をしてたのが砂緒さんに似てた。砂緒さんは異世界から帰ってきたのかも」
「えっ、砂緒が学園に帰ってきてる? それに私が愛の告白? 何よ、訳が分かんない」
私はアウラにさきほど自分が屋外プールの横で見た光景を説明した。
その説明を聞いたアウラは何かを思い出したようなそぶりを見せて、やがてひとつの怪異を口にした。
「……プールサイド・ドッペルゲンガーかしら。まさか本当にいたなんて」
驚いた。こんなことまで学園の怪異として知られているなんて……。
でも、ドッペルゲンガーって確かもうひとりのそっくりな自分が見えてしまう世界的にも有名な怪奇現象だったはず。
もうひとりの同じ姿をした自分に出会ってしまうと死んでしまったり、不幸の予兆という逸話だったと思う。
それが転じて心が弱っているときに見てしまうことが多いとも言われている。
けど、アウラのドッペルゲンガーを見たのは私で、しかも学園の怪異にはプールサイドというワードがくっついている。
プールサイドって何?
「やばい、本当にそいつがドッペルゲンガーだったら砂緒があぶない!」
アウラは生徒会室を飛び出して屋外プールへと走る。
まったく事態が把握できないが、とにかく私もその後を追いかけた。
一緒に屋外プールへと向かいながら、アウラが私に語った学園のプールサイド・ドッペルゲンガーとはこういう怪談だった。
男女のカップルが屋外プールの近くで仲良くしていると、後日男子生徒の方に彼女が現れて求愛してくる。
そのままプールに連れていかれ、その男子生徒を女子生徒がプールに引きづりこんでしまうという話だ。
プールから命からがら逃げ出した男子生徒があとで女子生徒に文句を言うと彼女はそんなこと知らないとなる。
そこで初めて男子生徒はプールに引きづりこんだ女子生徒は彼女と同じ姿の偽物だったと気づくという怪談だ。
「カップル限定なの?」
「まあ、この学園は大っぴらな恋愛行動はあんまりないから、仲良くしている男女の場合でも男子生徒の前に偽物の女の子がでてくるみたいよ」
「あれ、その偽物にプールへ引きづりこまれるのは男子生徒の方ばっかりなの?」
「そうみたいよ、趣味悪いわよね。見方を変えると男を彼女から奪い取るのが大好きってことだから」
私とアウラが屋外プールに到着すると砂緒さんともうひとりのアウラがおしゃべりしながらはしゃいでいた。
よかった、まだ間に合った。
でも、偽物のはずのアウラは間近で見ても本人としか思えない。
「ちょっと、砂緒、そいつは偽物よ。早く離れて!」
「えっ、アウラがふたり? どういうことだよ」
驚いた生徒はやっぱりあの日地下階段に消えた砂緒さんだった。
砂緒さんはアウラが目の前にふたり現れたことに訳が分からないといった様子だ。
ドッペルゲンガーのアウラは私たちの姿を確認しても、特に慌てることもなく砂緒さんの黒褐色の髪をなでて、立ち上がった。
そして、砂緒さんの顔をゆっくりと覗き込む。
「私、砂緒のこと好きになっちゃったの、砂緒と結婚したいな」
偽物の突然の告白に私は思考が付いて行かなかったので、変な汗が頬を流れて落ちる。
「どうしたの、砂緒くんも私のこと好きなんでしょ……」
「えっ、けっこんって、そんなこと……」
いきなり結婚なんてできないよという意味で砂緒さんは言ったように聞こえたけど、偽物のアウラはそうではないようだった。
「今すぐにあなたとひとつになりたいって言ってるの。私が生贄として砂緒を食べてあげるから」
驚いて偽物のアウラの方を見ると彼女の口からは黒いヘドロのようなものが流れ出ている。
いや、口だけじゃない、耳や目の中からも……
プールサイドに腐った水のような気が漂う。
おかしい。目の前のアウラは何か得体のしれない化け物だっていうことはわかっているのに足が動かなかった。
それは隣のアウラも同じのようで足がガタガタと震えている。
言葉にできない圧力に私とアウラは身動きひとつとれずに固まってしまう。
これは、これは違う。ただの悪霊とか妖怪とかのレベルじゃない。
アウラの偽物のドッペルゲンガーはただの怪異じゃないの……。
彼女がいる美形の男子生徒だけを彼女の姿になって狙うという冗談のような悪霊だと思っていたのに。
アウラの憎々しい表情を見ても同じように考えていたんだとわかる。
けれど、そこでアウラが発した単語は私にとって衝撃的な言葉だった。
「まさかこんなところで祟り神に遭遇するなんてね。ついてないわ」
えっ、今、アウラはあの偽物のことを祟り神って言ったの?
祟り神というのは神という名前がついている通り、神社などで祀られてはいないけれど、強大な力をもつ霊的存在のことだったはず。
その神という言葉で私の中でひとつの記憶が呼び起こされる。
それは私がもう心の奥底に封印したいと思っていた記憶。
「アウラ、だめだよ。これは神罰だよ。もう私たちにはどうすることもできない」
私は頭を抱えると膝からその場に崩れ落ちる。
「綾花、何言ってるの、神罰って?」
もう、何もできない。
私たちはただ神様の怒りが収まるのをただ願うしかできない。
かつて……私は友達が廃神社を探検するのを止められなかった。
神罰にさらされた友達を助けることができなかった。
神様に謝ろうよと叫んだ私は気が狂っているのかと周りから罵られた。
頭のおかしい私が友達を神社に連れて行って怖い思いをさせたことになった。
すべて私が悪いことにされた。
他の友達からは『あやかしの綾花』と呼ばれるようになった。
私は神様を怒らせて生きていく場所を失ったんだ。
だから、私はもう心霊案件にはかかわらない。そう決めたんだ。
そのときだった。
目から涙が出て止まらない私をアウラが抱きしめてきた。
「綾花、ごめんね。あなたの悲しい記憶を思いださせちゃって」
「ア、 アウラ」
アウラは私が居場所を失った経緯を知っている。
それを承知で私に新しい居場所を与えてくれたんだ。
「だいじょうぶ、大丈夫だから」
アウラは私をぎゅっと抱きしめてくれた。
私の震えが少し落ち着くと、アウラは自分の偽物に向かって臆することなく叫ぶ。
「私たちの砂緒を返しなさいよ。大事な生徒会のメンバーなのよ!」
偽物のアウラは私たちのことなんか何も気にしていないように冷たく笑う。
「何も問題ないよ。水の底でひとりは寂しかったの。だから一緒に来て、砂緒くん」
偽物のアウラは砂緒さんの耳元で囁きながらぎゅっと抱きついている。
ぴったりと密着した偽物のアウラの仕草から伝わってくる雰囲気は神様ではなく普通の女の子のそれに感じてしまう。
抱きつかれたまま後ろに倒れてふたりとも水の中に沈んでいこうとする。
「待ちなさい、あなたはとんでもない間違いを犯しているわ!」
「ふふ、適当なことをいっても無駄よ」
プールの中に沈んでいこうとする偽物のアウラは余裕の表情で淡々と答える。
このままじゃ、砂緒さんが神様に生贄として連れていかれてしまう。
でも、私たちの体は動かない。
焦る心とは裏腹に凍り付いたような暗黒の状況でアウラは叫んだ。
「水の中で一緒になんてなれないわよ。だって砂緒は女の子だもの!」
えっ、女の子、どういうこと?
今度は偽物のアウラの方が心底ぎょっとしたような表情になる。
「えっ、なにをバカなことを」
語尾がかすれながら、動揺した表情で彼女はじっと抱きしめている砂緒さんの顔を覗き込む。
偽物のアウラの体から触手のように黒い水が波打ち、砂緒さんの体に入り込んでいく。
しかし、その黒い水が砂緒さんの体にまとわりつくほどに偽物のアウラの表情が驚きのものに歪んでいく。
「うそ、うそよ! こんなに凛々しい女の子がいるわけないじゃない」
そう絶叫すると偽物のアウラの体はみるみる青黒く変色していく。
「おのれぇぇ! だましたな、人間ども。許さない、ゆるさないぞ!」
怒りの声とともにアウラの造形を模した細身の体は肺から頭に空気が押し出されたような嫌な音を立てて人の形を崩していく。
もはや女神の仮面をかなぐり捨てて暴れる祟り神は程なくして波の中に溶けて消えてしまった。
一瞬の間だけ静寂が訪れた。
水の音が聞こえた。
気が付くと砂緒さんはプールサイドまで自力で泳いで倒れていた。
偽物のアウラの姿はもうどこにもなかった。
「砂緒さん、大丈夫?」
「ああ、綾花? 今のなんだったんだ?」
「砂緒、こっちに帰ってこれたのね」
「アウラ、それがおかしいんだよ。俺、地下に降りて行ったら迷っちゃってさ。3時間ぐらい迷ってようやく出てこれたら、夕方になってるんだよ」
やっぱり砂緒さんはまだ死出の地下階の調査した日と思っている。
あれからもう2週間は経つのに……。
「そ、それに大変なんだよ、アウラ!」
もう十分いろいろな目に遭ってきたのでもう大概のことには驚かないと思っていたけど。
「俺の体が女になってるんだよ!」
は? 何言ってるの? 砂緒さんは女の子でしょ。
「やっぱりそういうこと」
砂緒さんの訴えを聞いて、アウラはため息をつきながら困った表情になる。
ぱぁん!
いきなりアウラが目の前で手を大きくたたいた。
「目を覚ましなさい。あなたは男の子よ。認識が異世界に引きずられたらダメ!」
砂緒さんは男の子、まるで催眠術から覚めたように私の中の感覚が蘇る。
「えっ、あっ、そうだ。砂緒くんは男の子だ。なんで私、女の子だと思ったんだろう」
「たぶん、並行世界とかの異世界に迷い込んであなたが女の子の世界とかがあったんでしょうね。その影響が体に出てるのよ」
「えっ、なんだよ。俺が女の並行世界って」
やっぱり砂緒くんは異世界に迷い込んでいたようだ。
もともと中性的な見た目をしているから、別の世界では女の子の世界線もあるってこと?
「アウラ、俺の体どうなっちゃうんだよ」
「とりあえず様子見だけど、砂緒が男だった世界に戻ってきたんだから、そのうち戻るんじゃないかしら」
「あの、どうしてアウラは砂緒くんが男だって認識してたの?」
「綾花と違って私は砂緒との付き合いが長いから絶対に砂緒は男だってわかるわよ。あの偽物の私も男の砂緒を生贄に求めてたから、男と思ってたわよね」
「じゃあ、なんで偽物に連れていかれそうになった時、女の子だって言えたの?」
「私の頭の中になぜか砂緒が女の子のような認識が紛れ込んできてて、プールサイドにいた砂緒の体つきが女の子のそれだったから、一か八かね」
アウラの話によると大昔から若い女の生贄を求めてくるような神様へ女の子に扮した男の子を生贄に差し向け、神様をだまして諦めさせる逸話もあるらしい。
たったそれだけの状況認識からその結論に素早く結びつけるなんて、アウラは本当に心霊案件に関しては魔女的な洞察力だ。
「それより、せっかくの機会だから、砂緒が女の子のうちに記念撮影しとこうよ」
「あほか、いやだよ。こんな恥ずかしいとこ残せるか!」
「なんでよ。すごくかわいいじゃない」
「ちょっと、まずはここを離れようよ」
たぶん、アウラは砂緒くんがこの世界に戻ってきたのがうれしくて、本当は泣き出したいぐらいのところを照れ隠しでじゃれてるんだとは思った。
とはいえ、こんな危ない忌み地からは早く離れないといけなかった。
私はプールサイドを離れるとき最後に水の中を覗いてみた。
もはや水の中で私たちを襲ってくるような動きは見えず、霊的な力も水の奥底でかすかに感じるだけだった。
それでも日没前で黒く染まったプールの水面はまるであの世との境界線のように揺らめいている。
目の奥に残っていた黒い情念が染み出た『女神』を思い出して息を吸い込むとかすかに神域の霊気のようなかぐわしさを感じた。
「大昔の神様はどんな思いで人を生贄にしていたのかしら」
現代では禁忌となった祭りをプールサイドに残された幽香に感じながら……
私は禁じられた思いを巡らせてしまったのだった。
〇 聖エーデル学園生徒会第一書記 若見綾花のお化けレポート
「プールサイド・ドッペルゲンガー」
新しい屋内プールが完成して今は使われなくなった屋外プール。そこでは奇妙なうわさがあった。男女のカップルで屋外プールの近くを通ると男子生徒の方が彼女と同じ姿の女の子に求愛されてプールの中に引きづりこまれてしまうという。
慌ててプールからあがって逃げて出した男子生徒が本物の女子生徒に詰め寄ってそんなことしていないという怪談である。
生徒会の調査でプールサイド・ドッペルゲンガーの正体は学園ができる前からこの山に巣くっていた祟り神だと思われる。時代が時代なら地域に悪い障りをまき散らす邪神として村人は若い男を生贄として捧げていたかもしれない。
既に使われていない屋外プールについては生徒会から早期に解体の予算を組むように要請する。当面のところは老朽化による倒壊の恐れありということで立ち入り禁止区域と設定したい。
まさしく触らぬ神に祟りなしである。
【プールサイド・ドッペルゲンガーの危険度】
彼女のいる美形の男の子と女神の嗜好範囲は非常に狭い。まさしく生贄に捧げるような行為がなければ被害は広がりにくいと考える。さらに屋外プールの区域は今後立ち入り禁止とする。打ち捨てられた神という存在を考慮して危険度を今は【B】としておく。
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