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客を呼び込む工夫~時代劇の話
べらぼう第1話でてんぐが印象に残ったのが、田沼意次の「人を呼ぶ工夫が足りぬのではないか? お前は何かしているのか? 客を呼ぶ工夫を」という蔦重へのセリフでした。
このセリフって、「時代劇」そのものに対しても向けられたものに聞こえたんですよね。特にSHOGUNの新たな成果が上がった後となると。
考えてみると、映画LotRにせよゲーム・オブ・スローンズにせよ、あるいは陳情令に代表される華流ファンタジードラマにせよ、「自分たちの文化圏をモデルにした架空の世界」を舞台にした作品は多いですし、それらは確固としたジャンルとして定着してます。
でも、日本ではどうでしょうか。
確かに銀魂などの和製異世界を舞台にした事例はありますが、それらに対するマンガやアニメファン以外の世間一般からの評価は、よく言ってインディー系というところでしょう。そして、なぜそう評価されるかといえば、「史実じゃない」「ウソの世界だから」という作品の中身と無関係の過小評価。時代劇を視聴することを「自分の知識の正しさを披露する機会」として捉えてしまう意識。そういうがものがあるせいでしょう。こういう人たちって、SHOGUNのGG賞制覇には喝采を挙げても、ドラマ自体は評価もできないでしょう。そもそも見てもいないという人も多そうです。
そして、そんな層をコアとして抱え込んでいるせいで、世界観の創造から広報活動まで含めて身動きが取れず、その結果として和製ゲーム・オブ・スローンズも和製陳情令も自分たちで作ることができず広めることもできず、世間という客を離れさせることになった――べらぼうで語られた吉原のように。
でも、時代劇専門チャンネルなどで昭和の時代劇を見てると、時代考証から演出から、ビックリするくらいいい加減にやってたのに驚きます。で、これがまた結構面白いんです。深作欣二監督の映画版里見八犬伝も和製ファンタジーとして凄かったですし。
で、そういう作品も「面白いと思って良いのだ」「一緒に面白いと思おう」という空気を作っていく。
それが時代劇に求められてる「客を呼び込む工夫」というところではないでしょうか。
願わくば、SHOGUNがアメリカで作られ、世界的な評価を受けたことを、日本の映像業界にいる人は喜ぶだけでなくなぜ自分たちにこれができなかったんだと悔しく思ってほしいです。
その悔しさこそ、本邦時代劇を復興させる原動力となるはずですし。