てんぐのノイエ銀英伝語り:第31話 失われたもの〜始まったよ、帝国軍の例のアレが
今週のノイエ銀英伝は、いよいよガイエスブルグ移動要塞によるイゼルローン回廊奪還作戦への号砲がなりましたが、同時に帝国、というかラインハルト体制の危うさが可視化され始めた回でもありました。
芸術家提督のお宅訪問(そういえば力の指輪シーズン2も配信開始だな)
今回の予告動画で出てきた“芸術家提督”メックリンガーのキュンメル男爵ハインリッヒ邸への訪問ですが、この人って本当に紳士で社交的なのがわかります。そう言えば、オフ日ではビッテンフェルトと街のビアガーデンで飯も食ってましたね。
で、今回お土産として持参したメックリンガーさんの水彩画。
石黒版では割と雑に描かれましたが、細かいところにも異様に力を入れるノイエの作風もあってか、こちらでは随分と本格的な絵ができあがりました。
詳しくは、こちらをご覧ください。
ちなみにこの絵、グッズとして限定販売もされてました。
アニメグッズの領域飛び越えてるんだよなあ。内容も価格帯も。
さて、そんなメックリンガーの水彩画ですが、この絵を見てると、ホビット三部作やLotR三部作の中つ国が頭に浮かんできます。あの山なんか離れ山っぽくも見えます。
一方で、ガイエスブルグ要塞は追加装備として装着された要塞主砲部から見ると、サウロンの目を連想しました。
銀英伝の時代になれば、トールキン作品も立派な古典文学。
メックリンガーも自邸の書斎には全巻そろってて、語れと言われれば文学的な解説もできちゃいそうですね。
そういえば、そのLotR三部作の前日譚にあたるドラマ力の指輪も、今日29日からAmazon Primeでシーズン2が配信開始でした。
こちらも大変楽しみです。中国ドラマやパラリンピックの中継と重なるので、視聴スケジュールがまたガタガタになりそうですが。
才あって徳なきものたちの「英雄たちの季節」
技術的な面はともかく実行面が100万人単位の命がけで難しいというガイエスブルグ移動要塞計画に従事するケンプについての話題をヒルダに振られて、「しくじったらそれまでの男だったというだけだ」と言い切ってしまえるラインハルトを見てると、「才あって徳なし」という言葉が浮かびました。
で、こういうときに「じゃ“徳”って何なの」と自問してみたんですが、ちょっと答えが出てこないです。というか、簡単に言語化して定義づけできるようなものなら、それは“徳”とは呼べないんじゃないかとも思うんです。
では逆に、「“徳”がない」とはどういうものを指すのか。これは結構あっさりと答えが出ました。
それは、「自分が暮らす社会とそれを構成する全ての人々に対する忠誠心、責任感、そして共感に基づく理解が狭く薄い状態」でした。
考えてみれば、ラインハルトはこれまで生涯で愛していた光景とは、アンネローゼとキルヒアイスと自分の三人がいたあの幼い日々で、その外側は文字通り外敵でした。その愛した光景を奪ったもの全てへの復讐心が原点となった以上、社会に対する忠誠心や共感など持ちようがなく、責任感があるとしてもそれを最も強く持たせるものは心の中の姉や我が友に対して向けられたものでしょう。
集団の団結を維持するために必要な存在として「敵」という身も蓋もない回答を出せるヒルダにしても“徳”はやはり薄いです。そして、ヒルダもまた、自らの“徳”の薄さを気に病む気配はないです。だから内戦時の第二次オーディン制圧(反リヒテンラーデクーデター)時でも見せたクレージーさを発露できるんでしょうかねえ。
このように「才があれば徳など不要」と断言できてしまえる者たちが社会のリーダーたりえる時代こそ、「英雄たちの季節」なのかもしれません。
その一方で、「この人は“徳”のある人じゃないかな」と思えるのが、ザ・クレージー・ヒルダの親父殿たるマリーンドルフ伯フランツ。
この人って、幼くして両親を失い、自分も生まれついての病気で余命いくばくもないハインリッヒがキュンメル男爵家の家督相続まで預かっていたんですが、その間に自分が投資にしくじって資産を目減りさせたにも関わらず、その男爵家の資産には一切手を付けていませんでした。
これは当時の貴族社会では奇特なほどの律義さと評されていたそうですが、そこから、「マリーンドルフ伯爵家って貴族銀行家だったんじゃないかな」って発想も浮かびます。
銀行家って信頼と評判が第一の資産ですからねえ。ついでに言うと、あの領地もどこかスイスっぽいですし。
いずれにしても、目先の利益よりも「奇特なほどの律義者」という評判を取れる人物には、回りまわって大きな存在感や影響力が備わってくるものでもあります。そう、「英雄たちの季節」が終わったころに、とか。
帝国軍のいつものアレ~キルヒアイスが生きていたら症候群
これから先、帝国軍で何か問題や不安が起こる度に出てくるアレというか、銀英伝っぽくいうなら宿痾といえる言葉が、「キルヒアイスが生きていたら」。これが使われていくたびに、死せるキルヒアイスが段々と神格化というか、実は思考停止のための便利ワードなんじゃないかって思えてくるんです。
その栄えある(ないよ)初使用者は、ガイエスブルグ要塞で、あの運命の日の現場をひとりで再訪する主君を見送るヒルダでした。
前述の通り、才あって徳なく、さらに精神状態がえらく不安定なままなのを隠せない絶対権力者を放置して良いわけがありません。
ラインハルトが死者にしか心を開かず、死者との誓いに呪縛されているのを理解したヒルダ。今週ラストシーンの姿は、もしかしたら、その死者たるキルヒアイスとの戦いの第一歩を踏み出したようにも見えました。
追記:この時点での帝国軍事情
ケンプは実に意気込んで推進しワープ実験成功にまでこぎ着けたガイエスブルグ移動要塞計画ですが、ラインハルト体制の基幹といえる宇宙艦隊の共同No2枠といえる双璧はというと、「軍事的な新技術を編み出したから出兵を進めるとか本末転倒だろ?」と、かなり醒めた反応でした。
ここで、現時点の帝国軍事情を考察しますと、内戦後のラインハルト体制は当然の事として賊軍として帝国政府軍と直接交戦した部隊指揮官だけでなく、便宜を図っていた軍関係者などを対象とした賊軍パージを行ったはずです。シュトライト准将やファーレンハイト提督のように赦免と再任官した人物たち、あるいはシュタインメッツのように「辺境の支配権を差し出した」(この人、内戦が長期化したらどうするつもりだった?)人物たちが例外なだけで、それこそ帝国軍人の半ばが処断や追放された可能性があります。
これを損失と見なすなら、比率の上では同盟軍のアムリッツァ惨敗と大差ないでしょう。
そう考えれば、「いま大規模な出兵をする必要があるの?」という疑問がわき出すのも当然です。
ただ、その一方では、同じローエングラム元帥府生え抜きのはずの双璧に水を開けられたケンプの秘めた功名心もあり、同時に完全に万全の状態とは言えない今だからこそ帝国に同盟征服戦役のドロ沼に入ってほしいフェザーンの思惑もあり、そして同時に戦略レベルの攻撃権を回復する安全保障上の必要性と「エルウィン・ヨーゼフの成長によるゴールデンバウム王家の権威復活」の危険性の両者に対するラインハルトの認知。
これらが全部重なった結果が、いわゆる「要塞対要塞」の戦いに繋がったわけですな。