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でんぐのノイエ銀英伝語り:第28話 改革者〜究極のボトム目線から見たラインハルトの時代


帝都オーディンの日常あるいは平穏な日々

 今回はラインハルト独裁体制下での帝都オーディンの光景がお題でした。
 さして大事件が起こるでもない、それこそ、メカデザインなどで参加してる麻宮騎亜さんの代表作サイレントメビウスにあやかって「日常あるいは平穏な日々」と呼びたくなります。
 それだけに、帝国という「社会」が丁寧に描かれていました。

 思えばノイエ激突編1章の劇場公開は、ユリアンの初陣を描いた25話から始まり、帝都の新たな日常を描いた28話で締めくくっていました。
 この構成は一本のドキュメンタリー映画を見たようで、実に秀逸でしたね。

絶対中立なる視点人物、その名は……

 独裁権力を手中に収めたラインハルトが始めた聖域なき改革によって急速に再構築される帝国社会、その象徴としての帝都オーディン。
 これを、ラインハルトの英雄伝説の一幕としてではなく、「社会」としての帝国として描くために必要な存在、それは中立なる視点人物です。そして、これを考えるのは言うは易く行うは難し。だって、どんな人間であれ、帝国社会で暮らしていれば、その改革によって利益を得たり喜んだり、逆に怨念や苦い思いを抱いたりするものです。仮に帝国社会に潜伏しているフェザーンや同盟のスパイがいたとしても、自国の都合というものを意識しないわけにはいかない。
 つまり、人間である限りは完全な中立という視点は持てないんです。タイムスクープハンター連れてくるなら話は別ですが
 でも、そこで、“あの”オーベルシュタインの犬が出てくるとはねえ。

 確かに人間ではない動物なら、完全に中立の視点は持てる。そして、オーベルシュタインが犬を飼うようになったという話が帝国軍の首脳部に知られるようになったのも、大体このくらいの時期でした。(原作だと、実際にオーベルシュタインがあの犬と出会ったのはリップシュタット戦役開戦前夜くらいでしたが)
 だからタイミングとしては絶好と言って良いんですが、それにしたって、この発想は全くなかったです。劇場で見たときは感嘆の唸りが出ましたよ。

 そんなオーベルシュタインの犬の餌、人間並みに丁寧なお食事なんですよねえ。
 あれかな、オーベルシュタインもフェルナーあたりの報告を聞きながら夜な夜な散歩したりしてるんでしょうか。
 なんか、イノセンスのバトーと話が合いそうです、どちらも「ドライのペットフードなんて食い物じゃない!」という点では固く意見が一致してそうですし。

テーマパーク帝都オーディン

 ジェシカの出馬演説時に集まった支持者や、イゼルローン要塞警備主任だったレムラー少佐など、英雄伝説におけるエキストラであるはずの不特定多数の人々の領域、つまりボトムからの目線を丁寧に描いていました。そして、野良犬の目線って、ボトム目線という点でもこれ以上はないでしょう。
 そんな野良犬の目線から見たオーディンという街ですが……なんというか、変な街なんですよね。生活していく上での利便性より都市設計者の世界観の表現が優先されてると言いますか、全体的にテーマパークみたいなんですよ、ここ。

 ヒルダやカール・ブラッケとオイゲン・リヒターの開明派コンビのような指導者階級は地上車で移動してましたし、ホロ画像での情報閲覧もできてました。でも、それ以外の平民たちの公共交通機関は馬車みたいでしたし、そもそも道路自体が地上車を走らせることを前提に敷かれてなさそう。
 育メン旦那さんに冷やかしもどこ吹く風と執筆に勤しむママさん作家にしても原稿は手書きでした。本気で自分の作品を仕上げて本にしたいと思うなら、銀河pixivでもライヒスなろうでもなんでもよいですが、同好の士と刺激を受け合える場が必要で、そこにアクセスするためのパソコンなどのツールがない、それが必要だという認識も恐らくはない。
 これは、「創作活動には意欲と紙と一本のペンがあれば充分だ」という理念の話とは全く別の、ごく普通の人々とテクノロジーの間の断絶が500年かけて広まってしまった、という話なんです。

 フリードリヒ4世時代末期のスラム化一歩手前くらいのどんよりした空気と比較すると、改革の喜びに平民たちが沸き立っている分だけ、そのテーマパークっぽさがより鮮やかになってしまっていました。

 でも、料理は美味そうでした。特にビールに合いそうな料理が多そう。食いに行きたいなあ。

 まあ、あのワンちゃんは鼻もひっかけませんでしたが。

猛将とその側近にも芸術家提督にもオフ日はある

 上記の下町料理を美味そうに食べてたビッテンフェルトたち、私服姿というのもあってガタイの良さ以外は軍人のオーラが消えてました。こういうオフ日の雰囲気を帝国軍人が出せてるところって好きだなあ。

 そういえば、テンセント版三体でも作戦センターのボスにあたる常少将が一度私服姿で出てましたが、あの半袖シャツ姿は完全にそこらの北京のおっちゃんみたいで逆に目を瞠りました。
 そのテンセント版三体はHuluなどの他に、Amazon Primeでも見放題配信されてます。

 ノイエ銀英伝の地上波放送もパリオリンピックの影響でちょっと間が空くことですし、また8月にはお盆休みもあります。この機会に、こちらのSFドラマもぜひご覧ください。なあに、たったの30話ですよ。楽チン楽チン。(華流ドラマ勢においては、ドラマ話数の平均値は40話から50話です

 それにしても、ビッテンフェルトとオイゲンってオフでも一緒に飯を食う仲なんですねえ。
 オイゲンのキャラ像も媒体ごとに色々ありますが、ノイエだと「昔はオイゲンの方がビッテンの上官でよく叱られつつ世話になっていた」とか、そんな間柄かもしれません。

改革に影に悲しむ人々

 どれだけ大きな多数の声が喝采していたとしても、その影には悲しみや憂いを抱く人々というのは必ずいます。
 自らの階層の没落と平民たちへの呪いの文句を手記に書き散らしてきた貴族に対しては「自分たちの暮らしが何を犠牲にして成り立っているかの想像力がない」の一言で切って捨てて良いでしょう。
 でも、親族を助けるためにかつての敵であるラインハルトの軍門に屈したシュトライト少将、戦友オフレッサーを抑えることも共に死んでやることもできなかったことを悲しみつつ墓参りをするミュッケンベルガー元帥、そしてラインハルトの宮廷費削減政策の煽りを受けて退職していったノイエ・サンスーシ宮殿の使用人たち。
 こういった人々の悲しみや苦い思いもまた、歴史と社会を見る上では決して無視してはいけないはずです。少なくとも、シュトライトについては、100パーセントの本心からラインハルトの知遇に感謝し忠誠を捧げたとは考えにくいでしょう。
 そんなことを考えるように、てんぐ自身の銀英伝観がちょっと変化したのを感じました。

改革者ラインハルトと魔術師ヤンの政治観の危うさ

 政治というものは、時に「妥協の芸術」と言われることもあります。この「妥協」を、「対話」とか「合意形成」と言い換えると、より受け入れやすくなるでしょうか。そしてこれは、どのような政治体制であろうとも、実はその「芸術」の仕組みの違いはあれども必要性においては共通すると言えます。
 では、改革者ラインハルトの政治はどうか。
 ここで紹介したいのは、北宋中期の改革派宰相の王安石とその顛末です。

 王安石は保守派(旧法党)の反対運動と、王安石自身の与党であるはずの新法党人士からの裏切りによって挫折することになります。
 一方、ラインハルトの「自由帝政」志向の政策は強力に実施されていきます。しかしそれは、この改革に反対したはずの門閥貴族集団を内戦で無力化していたこと、帝国軍実戦部隊を子飼いの元帥府メンバーによって掌握していたこと、つまり一切の「妥協」をする相手がいない環境を構築していたから推進できているだけであり、政策や政見が評価されたことを証明してはいない、とも言えます。
 この「妥協」、あるいは「対話」を無駄な手順と断じて自分一人の決断によって政策を推進できる「特権」を独占したラインハルトの姿を、カール・ブラッケが危うく思うのは、政治家としては至極当然だと言えます。
 このブラッケには、ラインハルト個人の家臣ではなく、帝国の公人としての意識を感じます。帝国政界においては、スターウォーズのレイア姫じゃないですが、「助けてカール・ブラッケ、あなただけが頼りです」と言いたくなりますね。早くもラインハルトへの個人崇拝に片足突っ込んでそうな相方リヒターは当てにできそうにないですし。

 政治家としてのラインハルトは他者との「合意形成」を尊重しない、文字通り専制的な存在だと言えます。
 では、そのラインハルトによるドラスティックな変革が推進される帝国をイゼルローン要塞から眺めるヤンの政治観はどうか。
 ラインハルト政権と平民社会の利害が強固に合一して、帝国が「国民国家」に変容する可能性と、それと対峙する未来図に脅威を感じるのは流石の慧眼です。
 しかし、実際の帝国社会に存在する不平や不満、あるいは嘆きを抱きながら社会の影にうずくまる数割の人々の存在を、ヤンはどこまで認識できているのでしょうか。

 クーデター鎮定後の市民集会でも示されてますが、ヤンにはどこか、「大衆」とも呼称される不特定多数の人々を、一枚の板に描かれた描き割りのように見てしまう悪癖があるようです。
 あるいは、統治者としてのラインハルトと同じように、ヤンもまた、自分と異なる価値観や利害や立場を持った存在との「対話」や「合意形成」を煩わしく無駄なことだと考えている、そんな面があるのかもしれません。

 恐らくは、ヤンもそれはどこか自認しているでしょうし、あるいは嫌悪にもつながっているでしょう。
 だから彼は後に、ユリアンの人生航路に大きな影響を与えるある決定を導くことになるのですが、これは少し先の話といたしましょう。


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