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てんぐのノイエ銀英伝語り:第45話 皇帝廃立~文化開放の春から軍国主義の夏へ

 今週もノイエ銀英伝語りのお時間でございます。
 今回もかなり読み解き甲斐のある回でした。


ヴァレンヌ逃亡事件の再話~帝国平民の反応

 銀河帝国正統政府に対するラインハルトの宣戦布告に触れた帝国平民ですが、当然のごとく「与えられた」諸権利を奪われる危機意識と合わせて怒髪天をついてましたね。
 で、この反応を見ていて頭に浮かんだのが、フランス革命期に発生したヴァレンヌ逃亡事件でした。

 ルイ16世一家はエルウィン・ヨーゼフと違って誘拐されたわけではなく、フェルゼン伯爵らの手引きはあったにせよ、自発的に逃亡を企てて失敗したわけですが、問題とすべきは「君主自身が国と民を捨てて敵国に身を投じ、その敵国の軍を自分たちに向けて進撃させようとしている」と、国民国家を形成されつつある中で平民社会に認識されたという共通点です。
 それまではブルボン王朝の権威のもとで穏健な立憲君主制への移行を目指していたフランス革命が一気に王政停止・国王処刑という過激な方向へ転舵したように、正統政府樹立とラインハルトの宣戦布告演説もまたゴールデンバウム王朝に対する素朴な尊崇を完膚なきまでに打ち砕いてしまいました。そして、平民階級の入隊志願者の殺到、退役軍人の現役復帰などによる「一億人・百万隻体制」を呼号するほどの軍事態勢の強化は、かつてヤンがその出現を恐れた「国民軍」の誕生だと言えます。
 しかしそれは、あのママさん作家のような人々の笑顔に包まれた文化開放の春から、炎に彩られた鉄と血による軍国主義の夏の訪れでもあります。
 それが途方もなく寂しいですし、ラインハルトのその後の統治においても決定的な分岐点ポイント・オブ・ノーリターンであるようにも思えます。

ボルテック弁務官の帳尻合わせが意味するところ

 ついに長テーブルと諸将および傍聴者の椅子という画期的な会議用アイテムが導入され、出席者立ちっぱなし会議から解放された元帥府でラインハルトが明かしたフェザーン回廊通過による同盟領侵攻という腹案ですが、ここにボルテック弁務官が姿を現したことの意味は結構大きいです。
 第一に、帝国本土に存在しているフェザーン側の諜報機関は、完全にラインハルト側についた、つまり同盟領侵攻作戦に必要な諸情報の封鎖については確定したということです。
 第二に、憲兵隊内部に浸透しているフェザーン諜報員の危険性が(当面はであっても)抑止されたことで、ケスラー総監を幼帝誘拐の責を負っての謹慎という形で情報伝達から隔離する必要がなくなりました。また、その幼帝誘拐という失態も、敵国への「亡命」=自国と国民に対する君主自らの売国行為と認識されたことで帳消しです。ここにケスラーの復権は確定し、侵攻軍を実際に指揮する諸提督が動揺する可能性が抑え込まれました。
 第三に、ボルテックの存在と関与を諸将に晒したことで、ボルテックに引き返す道は完全に断たれました。ビッテンフェルトは彼の行動を「祖国を売る」と表現してましたが、正確には「大チョンボの帳尻合わせ」なんですよね。しかもその帳尻合わせにすら実は成功してるんだかしてないんだかってところですし、何とも冴えない話です。

ラング理論とその実例としてのトリューニヒト政権(それはそれとしてスターリンの葬送狂想曲は面白いよ)

 旧体制秘密警察の長ハイドリッヒ・ラング。銀英伝の登場人物の中で、経歴も容貌もなかなかのキワモノが登場です
 原作の「両耳付近を除いて失われた茶髪、背が低く頭の大きい体型、光沢のあるピンクの肌といった『母乳にみちたりた健康な赤ん坊』を思わせる外見」をどう表現するかと思ってましたが、本当に強烈なのが来たな。

 で、そんな怪人ラングが披露した「100という全体の過半数51の、そのまた過半数である26を支配すれば、100全体を多数による支配を主張できる」というこのラング理論ですが、トリューニヒト政権がまさにその実例なんですよね。
 ノイエ版トリューニヒトについては以前にもこの記事で触れました。

 多分ノイエ版トリューニヒトは、市民社会の圧倒的多数からの支持は得てないと思います。
 トリューニヒトの強固な岩盤支持層といえる部分は、おそらく26%程度。残りの部分も「まあ他に良さそうな人もいないし」「支持してる声も多そうだし」で同調して集まった数値として51%くらいになる、というところでしょう。
 でも、「トリューニヒト議長は多数の支持を得ている。だから議長の行動と判断は民意である!」という論理は、民主主義と似て非なる「多数による専制」でしかないんですよ。
 民主主義においては法案にせよ政策にせよ少数会派の意見も可能な限り取り入れ、全会一致かそれに近い合意形成を目指すことが求められます。
 多数決が行われたとしても、それは「多数派意見こそが正義」なのではなく、「可能な限り幅広い合意形成を達成した」という証明であるべきなんです。

 なお、このラングについては、スターリン時代のソ連秘密警察のボスだったラヴレンチー・ベリヤという人物と重ねる声もありました。

 このベリヤの権力の絶頂からの失墜についてが主題となった、映画「スターリンの葬送狂想曲」も、この機会にオススメいたします。

 ちなみにこの映画で、てんぐが好きな人物は赤軍司令官というより20年代のシカゴのギャングか何かに見えるジューコフ元帥と、「フレーゲル男爵のモデルってコイツなんじゃ」ってレベルのドラ息子ぶりが割合史実というスターリンjr.です。
 ……また見るかなあ、この映画。(視聴スケジュールがカツカツなんでしょ?)

人に甘えるのは良いけど自分を騙すのはやめなさいよ、ラインハルト

 ヒルダに対して「私のやり口って悪辣だろうか」と言い出したのって、ラインハルトなりの甘え方なんでしょうね。キルヒアイスが生きていたら、もっと早い段階で、そしてもっと素直に甘えそうですが、それでも誰かに甘えられるようになったのは良い傾向です。
 ただ、「私が覇道を引いたら誰が銀河に統一と秩序をもたらすんだ」ってのはいただけないなあ。
 だってあなた、今まで別に銀河のために戦ってきたわけじゃないでしょ? 「姉さんを取り戻す」って自分の望みのために、友達も巻き込んで戦い続けてただけだし、いま帝国の統治をしてるのだって、その望みを果たした結果の責任を負ってるってことなんだし、自己欺瞞にしかなってないんですよね。
 というか、ここで自己欺瞞に走り出すくらいには、自分の行いに罪悪感を抱ける人間性は残ってるというか、回復できてるってことなのかな。
 それはそれで良いですが、だったら最初から覇道なんか行かないでほしいです。帝国に平和と公正な統治を行うことだって、それこそ「門閥貴族の反動家」や「同盟の身の程知らず」に対する最上の復讐や攻撃となったでしょうに。

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