郷土への愛情に素直になりましょう
本稿は「未来のためにできること」がテーマです。
このテーマにどのように斬りこもうかと考えていたときに、まず頭に浮かんだのが、今年のパリオリンピックの光景でした。
オリンピックをテレビで見て感じた高揚感は、自分の中にも確かに脈づいていたことを伝えてきました。
そして何より、数多くのミックスルーツや帰化した人も加わっていたことを何ら特別なものとして扱われない現在の日本代表が、全力で競い合った他国のオリンピアンと交流する姿は、自分の中のナショナリズム、あるいはナショナル・アイデンティティと呼ばれる概念が大きく揺さぶられました。
少なくとも現在において、ナショナル・アイデンティティは排外主義や憎悪扇動とも同化政策とイコールで結ばれるものではない、むしろ現実に暮らす多様なルーツを持つ人々を結び付ける縁ではないか。
むしろ真の国際交流というものは、「自分は何者なのか」という問いに対して、国名と国旗と国歌を伴った帰属意識を自覚し、胸を張って示し合うことが大前提ではないか。そう考えるに至りました。
しかし、それでも「国家」というものに対して自己を直結させる考えは、それこそ排外主義や憎悪扇動への一里塚です。
では、我々は、まず何に対して帰属意識を持てば良いのか。
この問いは、このパソコンまたはスマホの画面から目を離した周囲に広がっています。即ち、「社会」です。
この夏、お盆という時期は、各地の町や神社などで郷土の祭りが実施されています。
諸々のネットの中で広がる理屈を放り出し、こういった祭りに参加し、その場の人々と同じ場を歩き空気を吸うこと。そうすることで、名前も知らないその人々と自分が確かにその社会の一員だと感じることができるでしょう。
そして、その祭りの後も、ネット上ではなく地域の店舗で買い物をして、経済を回すだけでなく地域の人々と交わり続けること。
その感覚と日常こそが郷土への愛情の第一歩であり、同時に自分と国、そして世界と適切に繋がるための第一歩でもあります。
そして、「社会」を存在させ維持していくことを、責務としてではなく楽しむこと。「社会」とは選別ではなく受容のための手段なんだということを示すこと。
こういった認識にのっとり自分の地域での暮らしを楽しんでいる光景をSNSで掲載し、別の地域の楽しそうな光景を紹介する。これらが、私にできる「未来のためにできること」ということになるでしょう。