RAFTができるまで。vol.7
うちのはなし⑦
さてと。
人生をかけた戦いを始めます。
モノ好きなひとだけお付き合いください🙇♀️🙇♂️
さらしたいわけでも叱咤激励がほしいわけでもありません。
ナマケモノなので自分にアラームをかけるため。
甘いと思われることもやべーやつと思われるのも承知の上。
↑伏線。笑
あとはいつか振り返ってあははと笑えれば🙆♀️
~hama編
ディズニーを超える?!。。。
モチベーションを持ち直したのも束の間、また「辞めたい病」にかかり始めた…。
ご察しの通り、かまって欲しい、気にして欲しい、甘ったれの戯言。。。笑
お店が「忙しい」ことが嫌だと思ったことは1度もない。
フロントに立ってみたかったのか、予約の電話を受けてみたかったのか、パソコンに向かいたかったのか…
飲食以外!!という気持ちだけだったような気もする。
「飲食」は誰でも出来る。と思いこんでいる自分の気持ちを乗り越えることが出来ずにいたんだと思う。
今になって思うとあの頃は少しのプライドを持ち合わせていたのかもしれないね。あの頃の気持ちはいずこへ…🤔
自分にはもっと違う道がある!というよりも、誰でも出来ると思っている仕事にずっといる自分が恥ずかしかったのかもしれない。
高校の英語の先生が「誰でも出来ることを誰よりもやる」とよく言っていた。教室に貼られていた。
のちに、弟の高校の教頭先生として現れ、たまたま文化祭での再会をはたし、その精神は今は朝会の壇上で語っているという話を聞くことになったのだけど。
思うのは、その精神のすり込みのおかげでモヤモヤしつつも手を抜いたり突然放り投げたりとかいうことはなく、真面目に働けていた。
こうやって振り返ると人との出会い、人の言葉のすごさを考えずにはいられないですなぁ。。。
出会った人とその言葉とその対応で今の自分が作られている。。。
とはいえども、、
もちろん、なーんの努力もしていなかったし、ただ毎日をこなしていただけ。何かを見いだせるわけもない。
ただのあまちゃん。
それでもそこに向き合ってくれたたくさんの上司がいた。
もっと色々できるようになれるよって励まし可能性を見せてくれる上司がいた。
ちょうどその頃、有給が取れるタイミングがあって、初めて自力でディズニーリゾートに行った。社会人一年生の王道かな。
オープンからクローズまで2日間遊び倒しても足りなかった。夢かと思うほどお金が吹っ飛ぶ国だったけど楽しいが止まなかった。
アトラクションなのかパレードなのかショーなのか…はたまたミッキー??
想像していた以上に笑ったし、想像していた以上に気持ちが吹っ飛んだし、あっという間に時間が過ぎた。
旅だからなのか🤔
非日常だからなのか🤔🤔
夢の国だからなのか🤔🤔🤔
とりあえず、私のなかの色んなものをとっぱらう空間がそこにはあった。
ということで、安易なわたしはディズニーランドで働く道を模索し始めた。
アルバイトの募集のみだったので、バイトを頑張って社員になるしかなさそうで。時給が1000円で週40時間働けて月これくらいの給料で…。ちょっと心もとないからもう1つバイトしないとヤバそうだなぁ…。実家暮らしだから生活費の感覚はもちろんなかった。
近くの家賃調べて…高い💦💦
沿線を調べて…
電車に乗る生活をしたこともないので、乗り換えの手間とかも知らない。乗り換え3回か💡とか笑
ドアtoドアの考え方も知らなかったので、電車に乗る時間=通勤時間みたいな調べ方。。。
乗り換えのとこに徒歩がかかれているめんどくささもわからず、30分くらいだったら今の通勤時間と同じだしな。とか。
車の感覚で考えていたり。
家を出るのが2分遅れたら痛い目を見ることは沖縄の車通勤では絶対に思いつけない。
あそこを裏道通ればいっかとか、少しかっ飛ばせばいっかという感覚で電車は動いてくれないこと後々知ることになるのだけど。
物価はどうなのかなと、スーパーのチラシを探してみたり。。。
下調べとは言えない程のお粗末な検索。
あと貯金残高で最低限の家具家電は買えるかも調べた。
ずさんな計算とざっくりした妄想の中に「転職の成功」は見いだせてなかったけど、行ったらどうにかなるかなって考えていた。
。。。たぶん、その時に動いていたら都会の波と貧困に押しつぶされてすぐに泣き帰っていたと思う。笑
「ディズニーランドで働くより俺と働いた方が数倍楽しくなるぞ」と言ってくる上司がいた。
これは未だに伝説的に語られ、今でも当時の仲間たちが集まるとよく出てくる話。
ということは…次回はディズニーランドより楽しいリゾートホテルの話。
「ディズニーランド<リゾートホテル」
ネタ満載感しかない。キングコング西野さんより先にディズニーを超えたお話があるとかないとか🤔
笑
次回に続く。。。
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