RAFTができるまで。vol.8
うちのはなし❽
さてと。
人生をかけた戦いを始めます。
モノ好きなひとだけお付き合いください🙇♀️🙇♂️
さらしたいわけでも叱咤激励がほしいわけでもありません。
ナマケモノなので自分にアラームをかけるため。
甘いと思われることもやべーやつと思われるのも承知の上。
↑伏線。笑
あとはいつか振り返ってあははと笑えれば🙆♀️
~とーまさん編
そして、また、野球。
あっさり~
野球を知らない人でも「あー!!聞いたことある!!」となる浦学に通い、死ぬほど野球漬けにされていた弟。こちらも卒業と共にあっさり野球を捨てた模様。。。
今でも、兄弟で会うと野球の話ばかりしていたり、昔お世話になった人がどうとか…今でも野球してた頃の濃厚な関係性があちこちに散りばめられた生活をしている感じから、なぜこうもあっさり「野球」から退けたのか。。。
本当に謎。。。
古市家の七不思議。
その中のひとつに妹が喋りすぎる謎もあるのだけど。
それはまたの機会に…
学校にバイトにと日々に追われる中、これまた人に誘われて、クラブチームで野球やろうかなーのタイミングが来た。
「じゃあ俺もまたやろーかな」と、弟。
受ける受けないの覚悟より、あっさり捨てた野球をその後しばらく続けるかどうかの覚悟。
受けたら落ちることはないから。と、2人。笑
なんて兄弟だ🤣🤣
この覚悟がまた本気で「野球」に向かう日々の始まりになろうとは、この時はまだ誰も知らない。。。
あっさり捨てたものとはいえ、物心ついた頃には「野球」がそこにあって、漬物にされてたもんだから、感覚を取り戻すまでもあっさりと。
兄弟でチームメイトとして野球をする。
お互いにお互いの「野球」をずっと見てきたし、誰よりもそれぞれの「野球」を語ってきた。
ライバル心よりも「野球観」を共感し理解し合っているチームメイトがいることが不思議な感じだった。
当然のようにトライアウトをパスし、元プロ野球選手も所属する千葉のクラブチームの立ち上げメンバーとして弟も一緒に加入することになる。
「浦学卒」の肩書きのある弟は希望通りの内野手。
一方俺は空きのあるポジションに回された。
肩書きのない選手のはじまりなんてこんなもん。
あっさり受け入れて外野手としていい仕事をするようになる。。。
そうこうしているうちに大学卒業を目の前にし、入社までの期間、内定を貰っていた会社のアルバイト研修をしながら、後にも先にも人生で1番穏やかな時間を過ごしていた。
…案の定「穏やか」は続かなかった。
「プロ球団のスカウトがおまえを見に来るから」
謎のチャンスが舞い込んできた。
一応悩んで、内定式前日、内定を断り、もう少し本気で野球をやってみようと決断する。。。
松坂選手はアメリカに行かれてしまったので…
ダルビッシュの球を打ち返す道を模索する数年が始まることになった。
そこからは野球中心の毎日。アルバイトをかけ持ちしながら野球に注ぐ時間とお金を捻出する日々…。
3チームのプロテストを受けることになる。最終まで残れたチームもあったのだけど全部ダメだった。。。
だけど、あっさり捨てたものをまた拾い上げたときの覚悟はそうそう冷めない。
次のチャンスに向けてのトレーニングが始まる。
そんなとき、新潟の独立リーグのトライアウトを受けないかという話がやってきた。
チャンスは自分で掴むものだけど、人が運んでくれるものだったりすることをこの辺りから確信に変わる。。。
その出会った人を大事にしよう精神はこの辺りから「生き方」として刻み込み始めた。
全てのことには意味があるとまでは言えないけれど「点と点が線になる」。そこに「人」がいること。
…話を戻そう🤚笑
そしてなぜか、これまたあっさり捨てたはずの野球をひょんな気持ちで再開した肩書き強めの弟は先に新潟の独立リーグでプロ野球選手として活躍していた。
結果的に独立リーグのアルビレックス新潟で兄弟揃ってプロ野球選手になってしまう。そこから更に上を目す日々が始まることになる。
独立リーグ、アルビレックス新潟。
念願とはまではいかないけども…
ついに
二遊間、古市兄弟。
一緒に野球をやることの強みが1番出るだろうなと思っていたポジショニング。
打順も並びになることが多く、スコアボードやオーダー表の名前を見るたび巡らせる思いがあったとか、なかったとか…。
当時2年目だったチーム。
前年は、なかなか結果を出せずにいた模様。
そこから半年でリーグ優勝を果たすまでに。。。
地元の新聞にも大きく取り上げてもらったり、「チームメイトで」「兄弟で」というなかなかないカテゴリーも功を奏し、たくさんの人に応援してもらった。
新聞の切り抜きをスクラップブックにしてくれているファンの方がいたり、本当に野球選手だった。
サインを求められたり写真を求められたり、差し入れを頂いたり…。
なかなかない貴重な経験。現在に至るまで繋がっていてくれている方だったり、SNSで繋がったり。当時小学生でイベントの野球教室に来てくれていた子が甲子園球児になっていたり…。
「野球」を通して得たものの濃厚さはこの時期に勝るものはない。
人の強さ、想い…。
そして、次回に続く。。。
※写真は当時のファンの方に頂いたものです🙆♀️
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?