先ず、隗より始めよ?

とりあえず、noteを書こうと言う話

 継続は力なり、千里の道も一歩からと言うけれど、言うは易く行うは難しだ。
 ただそれは自分に期限や約束、制約をかけない時の話である。

 中高の課題に関しては、提出しないと進級できないものは全て提出してきたし、大学に至ってはレポートを出さないと単位を取得できないのが基本なので、教授に泣き落としするまでもなく、出すべきものは出し、出さなくていい且つ、興味のないものはとことん出さなかった。
 そのためGPAも通知表の成績も良い方ではないが、留年の危機、卒業単位不足の危機には縁遠い生活を送ってきた。
 そんな中でいざ社会人になって、語学の学習やAIの資格など自身に必要なスキルの習得のために学習を開始したが、これが悲惨なまでに進まないことが解った。

 原因は至ってシンプル。
 継続する習慣も力もなく、その場限りのパフォーマンスを最大化する生き方で生きてきたからだ。
 だからこそ、継続する習慣を身につけるためにも、週1ではnoteを書こうと言うのがこのnoteで一つ目の言いたいことである。
 折角noteを書くことで皆様にお目汚しいただけるのであれば、何か有益になりそうでそうでもない、チラシの裏に書き綴ることを発信したいと思ってしまう、傲慢な人間なので、最近よく耳にする「社会人になると勉強する時間が無い」の正体について極めて主観的に触れていこうと思う。

「社会人には時間がない」

「社会人になると勉強する時間がない」という言葉をよく同僚から耳にするが、個人的には全くそんなことはないと思っている。
 現に5時20分に起きて、6時に家を出て7時に会社付近のカフェで、このnoteを執筆している。
 それだけで既に定時である9時半まで2時間半時間を持っているのだ。
 確かに学生に比べれば、学習に充てることのできる時間は減少したとは考えられるが、仕事というのも生産性を上げながら、必要なスキルを身につけるための学習である。お金をもらいながら学習をしているようなものなのだ。
 それに私の勤務先の残業は異常なまでに少ない。
 寧ろ自分が所属しているプロジェクトに関しては、こと社内において管理職を除いては最も残業が多いのでは無いだろうか。
 9時に出勤し、勤務しているスタッフが17時に全員いなくなって、当日の動きで発生した事項の共有、イレギュラー対応、定期的に発生する定義変更へのマニュアル作成、次の日の動きの策定、作業効率向上に向けての対策会議。
 書き出せばキリがないが平気で20時半、21時まで作業や残業ができる。
 残業時間ベースで言えば、日2〜3時間程度だから一般的な社会人と同様の量では無いだろうか。
 加えて残業しようと思えばいくらでもできるが、生産性のないことをダラダラとやっていても給料泥棒もいいところだろう。
 そもそも新入社員なんてのはどれだけ働いても自分に出る給料分の働きすら、碌にできないのだから、現状の自分のタスクを効率化して定時には上がれるようにして、追加の業務があるのであればそれに対応したタイムスケジュールをするのは当たり前のことだ。

時間がないと言う言い訳

 話は逸れたが、社会人に時間が無いなんてのは「立派な言い訳」だ。
 当然、大学生と比較すれば絶対的に社会人には時間がない。
 しかし、小中高でも同様に週5-6×8時間弱は拘束されていた筈だ。
 さらにそこに受験勉強や部活、学校の課題がのしかかって来るのだから時間の総量としては対して社会人も学生も変わらない。
 ではなぜ、「時間が無い」のか。
 それは「時間が無い」のではなく、「時間を作っていない」のである。
 小学校の頃、15分休みに校庭でサッカーやバスケをしていたことを覚えているだろうか。
 或いは中学・高校の時、放課後にスポッチャに行ってラーメンを食べて帰った日のことを覚えているだろうか。
 あの時の我々は「時間の活用」のプロだったと言えるだろう。
 
 過去時間を作ることが可能だったののにも拘らず、今同じことが出来ない原因は3つある。
 一つは「ジャネーの法則」だ。
 「ジャネーの法則」とは歳を取ると時間の経過が早く感じるアレのことだ。
 身体の巨大化や経験の増加は、主観的時間の減少を引き起こす。
 
 一方で、流れる主観的時間とは対称に客観的時間は絶対的に24時間である。
 ならば、時間を作り出すのはあの頃のように可能なはずだ。
 15分休みにバスケをしたように、15分休みに単語を覚えることも、放課後にスポッチャに行ったように、終業後カフェに寄って自分の学習をすることだって可能なはずだ。
 
 二つ目は自宅で勉強しようとすることだ。
 結論から述べれば、社会人は平日自宅で勉強することは不可能に近い。
 出来る人もいるが、おそらく出来る人は時間が無いと思っていないだろうし、このnoteは最初の数文字で読み終わっているだろう。
 このnoteをここまで読んでいる方は下のような経験がある筈だ。
 来月末に資格試験があるから、今日は仕事を早く終わらせて家で勉強をしようと思ったら、気がついたら寝る時間1時間前で殆ど勉強できなかったといったような経験だ。

 それも当然社会人は18時半に終業したとしても、1時間かけて家に帰り、お風呂に入ってご飯を食べればあっという間に20時半だ。
 そこから少し落ち着いてから学習を開始しようと思えば、吃驚することに22時を回っている。
 次の日も早く起きることを考えると社会人はそこから学習を頑張れても2-3時間が限度だろう。
 疲れも溜まっているし、ご飯を食べて副交感神経も優位になっている。お風呂から上がり徐々に深部体温が下がり、22時、23時には眠気もピークに達する。
 そんな状況で学習をしても、船を漕ぎながら2ページで寝落ちをするのが関の山だろう。

 三つ目はスマートフォンを見ている時間である。
 お手持ちがIOSの端末なら、設定からスクリーンタイムを確認すると良い。
 Androidの端末ならスクリーンタイム等をインストールしてみると良いだろう。
 そこで出てきた数値の中でInstagramやX(旧Twitter)、LINEを見ている時間が、殆どの人々にとって1日に無駄にしている時間の総量である。
 勿論、必要な連絡、WEBマーケターなどにとっては業務時間であろうが、ほとんどの人にとってはそうでは無いだろう。
 学習がしたくて、自分の時間が無いと嘆くのであれば、スマートフォンを眺めている時間を減らすのが手っ取り早い手段である。
 趣味X(旧Twitter)、ソシャゲのオタクにとってはきつい話ではあるが、あくまで学習したい場合に限った話であることを念頭に置いてほしい。

時間の作り方

 前述したような3つの原因から我々の時間は奪われている。
 しかし失われた時間を明確にして、原因だけ論えても学習効率は上がらない。

 そこで私が推奨する学習法は、最寄り駅のカフェで1-2時間学習を行うことだ。
 平日に学習するには、帰路の最寄り駅のカフェを活用するのが良い。 
 先ず、最寄り駅のカフェであれば、帰れなくなることは殆どない。
 カフェによっては勉強不可の場所もあるのでその辺りは見分ける必要があるが、基本的にチェーン店は仕事や勉強が可能だ。
 遅くまでやっているところも少なくないので、帰りが遅くても1時間、2時間は集中して勉強することができるだろう。
 加えて、珈琲の香りには集中力や情報処理能力を高めるものがあるらしい。
 効果は眉唾ものではあるが、そういったものにプラシーボを感じながら勉強するのも悪くは無いのかもしれない。
 カフェだと煩すぎて学習が捗らない人は、コワーキングスペースなどを活用するのも良い。
 大抵珈琲等が飲み放題だったりして、カフェにいる時の300円増しで個室空間が手に入ると考えると悪くないのでは無いだろうか。
 個人的にも休日はコワーキングスペースを活用するのが好みだ。
 この時、加糖の飲料には注意したい。
 退勤後の19時半ごろはお腹が空いている時間帯であり、集中しやすい時間帯ではあるが、飲料に砂糖などが含まれているものを摂取すると急激に血糖値が上昇し、眠気に襲われることがあるだろう。
 カフェインに弱い方は、カフェで飲料を頼む場合に紅茶やコーヒーを頼むにしてもデカフェのものを頼むと良いだろう。

 デメリットとしてコストがかかると言うのがあるが、これに関してはトレードオフであろう。
 気を引き締めて自宅で集中するか、帰りにふらっと寄ったカフェで集中して学習するかの違いでしかないので、必ずしもカフェで勉強することが正しいことであるわけではない。

おわりに

 一番最初の見出しでもお話ししたように、一先ず週1ぐらいのペースで何かを言語化するためにこのnoteを書いたが、如何だっただろうか。
 基本的に自分がやっていることやマインド面の話、趣味の話などをまとめて記載していくことになるとは思うが、インターネットの容量を無駄にしない話ができたらと思う。
 来週は何を書くか全く決めていないが、続けていく習慣をつけることを目標に頑張っていこうと思う。


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