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同期が配属2ヶ月で仕事を辞めた話

同期が3人同時に辞めた。
完全週休二日制、月平均残業時間10時間弱、
他の新卒と比較すると給料も安いわけではない。
ある程度の心理的安全も確保されている。
一体何が原因だったのだろうか。

本人たちへの聴取に加え、
本noteでは「Z世代の価値観と会社」というテーマ、
次回更新時には「会社とZ世代」というテーマの二部で
その理由・扱い方についてを探求していくこととする。

また、本noteでは特定を防ぐため、
実態と異なる内容があることは先に断っておく。

はじめに

私は23卒6ヶ月目の一般社員である。
所属している企業は大きいとも小さいともいえない企業で、
全国的に支社がある上、安定しつつも成長基調であり、
業界的にも堅実である。

福利厚生面では年間休日125日、残業をする雰囲気ではなく、
社会が思い描くホワイト企業を地でいく企業である。
(早く出社して仕事をしていたら怒られたりもした)
月収についても新卒にしてはもらっている方ではある。
新卒1年目から日本の平均年収より少し少ない程度と思っていただければ良い。

そんな好条件の企業を配属2ヶ月目に退職した3名には、
Z世代特有の価値観によるものが大きく影響していると私は考えている。

このnoteがZ世代を雇用する企業の採用担当者や
これから新卒採用を行う企業の採用担当者に届き、
採用のミスマッチを減らす一助となれば良いと考えている。

「配属ガチャ」の意味

一大イベントとなった人事配属

我々の会社は他社と比較してOJTの期間が非常に長い。
OJTでは、数週間掛けて本社の各部署の業務に携わり、
そのOJTの過程と出した成果、そして表向きは自身の配属希望を参考にして、
その後業務を行う配属先が決定される。

OJTは適正を見られるだけでなく、新入社員に初めて与えられる「営業」の場であるのだ。
自分が希望の配属先に所属した際に、結果ベースではなく過程ベースで、
どれだけの価値を提供できるかを本部長クラスにアピールできる場であり、
このルールに一番早く気づいた人間から部署の希望が通りやすい傾向にある。

そのような環境の中でも配属発表というのは大きな意味を占めており、
OJT期間中に発表されるため、そのOJTの日には誰もがそわそわし、
課せられた業務が手につかないといった様子で迎えていた。

それほどまでにZ世代において配属が大切だと考えているのは、
その後の<成長>、<業務内容>、<ワークライフバランス>を考えた際に、
自身が希望した部署には妥協できる(もしくはそれ以上の)ラインの環境が整っているといった「環境重視」の考え方が前提にある。

「環境重視」の考え方とは、
配属部署に適応して自身のキャリアを形成していくという考え方ではなく、
既にある自分がやりたい、或いは自分の希望を妥協できる環境を選択し、
その中で自身のキャリアを形成していくという考え方である。
むしろ、自分がやりたい、妥協できる環境以外は自身にとって「無意味」であるという極論的な考え方でもある。

このような考え方は、
メディアがさんざん発信している「親ガチャ」といった考え方や
これまでの経験から、才能や能力があっても「環境」が悪ければ
そのパフォーマンスの100%を発揮できないことを経験してきているからだ。

実際、彼ら(私もだが)を取り巻く環境は常に親の経済状況や親の人間関係によって選択の幅を定められてきた。
「環境」によって選択肢を狭められてきたのは特に「中間層」だ。
ここで指す「中間層」というのは学習における部分であり、
テストで例えるならほぼほぼ平均点で推移する人々のことである。
この「中間層」は充分な量の教育資源を投下すればいつでも上位に食い込むことのできる存在ではあるが、経済的状況や家庭環境などのさまざまな環境的要因によって、充分な量の教育資源が投下されていないことから形成されていることが殆どだ。

また、Z世代が「環境」に固執するのは、
SNSの発達により他者の「環境」を簡単に覗くことができるようになった為だ。
Z世代は、「”みんな“が持ってるから買って欲しい」から、
「日本の10代の50%が所持しているから買って欲しい」へと移行しているのだ。
隣の芝生は青いとはよく言ったものだが、自分より良い環境の他者が自分の苦労の数%程度の努力や既にあった人脈で同様の成果を得ていると感じる(もしくは実際に得ている)というの内容が、物心ついてから常に明確に可視化された世の中を生きてきたZ世代にとって「環境」というものは死活問題なのである。

Z世代は「環境」によってその後の物事が有利にも不利にも働くことを身をもって経験し、その中で不平等さを感じながら同様の基準で競争を強いられてきた。
そのような経験から、配属はその後を左右する一大事のように感じており、かつ自身で決められない要素が絡むため、スマホゲームに準えて「配属ガチャ」と呼ばれるのだ。
勿論「ガチャ」なのだから「ハズレ」を引くこともある。
今回の同期も「ハズレ」を引いたと発言していた。

「置かれた場所」は見た目で「肥沃」か「荒蕪」か判断されてしまうのだ。

「雰囲気」と「顔色」は気にしてる

ではその「環境」を規定するものはなんだろうか。
業務内容や体制も勿論「環境」を規定するものではあるが、
職場の「雰囲気」やそこで働く人の「顔色」は印象強く「環境」として残る。

それを明確に言語化することができないから、
雰囲気が悪いやあまり行きたくない部署としてなんとなく「環境」がよくなさそうと評価されてしまう傾向にある。

また、Z世代も同様に他者からの評価を極端に気にする傾向にある。
後述するが、飲み会に行きたくない時も限界まで出なかった時の自身への評価と自身の可処分時間についてを天秤にかけて飲み会に出席するかどうかを決定する等、上司や同僚の「顔色」を必要以上に気にする傾向がある。
その要因は、InstagramやX(旧Twitter)のSNSを日常的に使うことで、
「いいね」の数を気にする等、他者の評価を日常的に受けているからだろう。

このように、Z世代にとって配属は、
・自身の環境を決定する一大イベント
・環境によって自身のキャリア形成が決まると考えている
といったことがわかる。

以前は「置かれた場所で咲く」といった考え方が定説であったが、
Z世代の考え方がこのように推移したのかを辿っていくと、
Z世代の考えを形作るもう一つのキーワード
「タイムパフォーマンス」、所謂「タイパ」という言葉が出てくる。

「タイパ」の正体

「置かれた場所で咲け」はタイパが悪い

先に断っておくがZ世代は決して「無気力」で「怠惰」なのではない。
見通しがないことが歯の間に挟まった鶏肉よりも嫌いなのだ。

弊社は営業を行う会社ではあるのでOJT期間中、各営業部でテレフォンアポイントメント、つまりテレアポを行うことが多かった。
実際、テレアポをしている間は監督する必要もなければ、アポイントが取れれば万々歳、これから必要になるメンタルも鍛えられるで非常にコスパの良いOJT内容なのだろう。

一方でどこの部署に行ってもテレアポをさせられるのに、
どこの部署のデスクでもテレアポをしている人は殆どいないので、
よく「これをやって何になるんだろうね」という会話が交わされていた。

まさにこの言葉にZ世代の全てが詰まっていると言っても過言ではない。

この言葉には二つの意味が含有されている。
・そもそもこの業務が何につながるのかわからないという言葉通りの意味
・こんな時間効率の悪いことばっかやっても意味が無いんじゃないかという意味
である。

つまり長い時間かけてリストを作成し、100件かけて1件アポイントが取れるか取れないかの誰もやっていない業務は「タイパ」が悪いと考えたのである。
加えて、テレアポをする「目的」についても明かされていないことから、
なおのこと「タイパ」が悪いと評価を下したのだ。

背面の意図を読み取ろうとせず、業務内容に評価を下す同期には辟易したが、
部署としてもOJTの意義を考えず、忙しいのはわかるが安易にテレアポで日程を埋めるという「コスパ」に基づいた内容を行った部署側も同罪であると考える。

テレアポの功罪から話を戻すが、
これほどまでに「タイパ」をZ世代が意識するのには理由がある。
それは、驚異的なまでの結論主義や時間への価値観である。

その事を顕著に示しているのが、
「置かれた場所で咲け」への抵抗感である。

石の上にも三年、櫂は三年櫓は三月と口々に叫ばれるが、
Z世代にとって希望をしていない「置かれた場所」はまさに苦痛そのものである。
今回辞めた3人についても本人たちの希望しない職場で、
希望しない業種であったため、その部分も大きい。

「置かれた場所で咲け」というのは、
まさに、周りの環境について不平不満を述べる事なく、会社に還元できるように自己研鑽を積めという意味で使われることが多い。
Z世代にとって「置かれた場所」が苦痛となってしまうのは、その背後にある意図やそれを経験したことで得られる経験値を近視眼的にしか見ることができないからである。
仕事において、どのような場所や現場でも学び、本来やりたいことに繋げるためのピースは転がっている。
だから、今ある目の前のことを全うして、その上で自身にとってこの場所が合っていないことを伝えるなり「苦痛」についての現実的な改善提案なりをする事が、Z世代の会社における役割であると私は考えているが、彼等はどうも目の前の業務がすぐに為になるかどうかを判断してしまうきらいがある。

分析や頭の回転は良いが、結論を急ぐばかりに対局を見据えることが苦手な世代であるように私は考えている。

結論第一、経験第二

Z世代は特に結論を重視する傾向にある。
「とりあえずやってみて、やったら分かるから」
という論理に対して強い嫌悪感を抱くのだ。

やってみることでベットする時間に対して得られるリターンが、
上司が持っている答えであるならばそれを時間をかけて体得する必要はない。
こういう考え方である。
経験し、自分で実感をもってこその「答え」であるが、
それが理解できないのである。

特に「やってみている」間に感じる「なんのためにやっているんだろう」というナンセンスを感じることに抵抗を覚え、「知っている」のに教えてくれないといった点に対しても反発したくなるのである。

これは、二倍速で動画を視聴することやInstagramのストーリー右端を高速でタップすることと同様に、得られる必要な情報や結果だけを最短距離で把握し、自身の能力向上や社会への還元・貢献へと繋げたい気持ちの顕れでもあるのだ。

1年後じゃ、遅すぎる

Z世代は上の世代が想像している何倍も自身のキャリアについて深く考えている。
目指すべきキャリアプランや目的を自分で設定して、
そこに向かって全力で自分に必要なことを積み上げていくタイプと、
とりあえず就職し、自分に降りかかるルーティンワークをこなして生活をすることが目的となっているタイプの2パターンに大きく分かれる。
勿論これまでの世代もこのような2パターンに分かれていたと思うが、
Z世代が特徴的なのはその温度差と共通点である。
前者はとことん情熱的または集中的であり、
後者の場合は徹底的なまでに冷静で保守的である。
一方で両者ともに時間については何があってもちょっとやそっとで他人、況してや所詮上司程度に明け渡すことはない。

Z世代は可処分時間の守り人である。
そのことを念頭に置いて考えると、凡ゆる行動が一貫しているのがわかる。
キャリア形成タイプも生活優先タイプも自己研鑽に充てるためか、友人と過ごすためか、コンテンツを消費するためかの違いでしかなく可処分時間の使い道が決まっているのである。

お金と同様に使い道が決まっていれば余計な出費は抑えるのと同様に、
時間についても浪費は控えたい。
そのような世代の「1年」がどのようなものであるか想像がつくだろうか。
置かれた場所で1年耐えることも1年後の昇進も、
どちらも彼等にとっては「遅すぎる」のだ。

自身のキャリアプランは、自身の生活計画はよりハイテンポで進んでいるのに、
会社から提示されるキャリアプランは回した稟議書が承認されるよりも遅い。
その様な状況では成長できない、安心して生活できないと感じたZ世代は、
「第二新卒」「ミスマッチ」といった甘言に惑わされ、転職市場へと進む。

すべては「可処分時間」のために。

「好き」を取捨選択する時代

Z世代を取り巻く情報氾濫

Z世代は生まれた時からインターネットの膨大な情報量と共に生活してきた。
例えば、テレビの代わりにYouTubeやNetflixを、
地域コミュニティや娯楽の代わりにSNSを使って、
本屋や雑貨屋の代わりにAmazonを使って、
知識やエンタメ、生活からコミュニティの形成までを行ってきたのである。
また、わからないことは本の代わりにGoogleやWikipediaに、
新聞の代わりにYahooニュースを多くの媒体を使って(使われて)暮らしてきた。

つまり、想像もつかない情報量と無際限のコミュニティに人生の殆どを置かれ、
玉石混淆の中、それぞれに「為になる」「面白い」「つまらない」などの分類、タグ付けをして自身に必要なもの、好きなものだけを拾い上げてきたのである。

新卒として新しい生活スタイルになり、
これまで「楽しい」「学びのある」タグの「学校」というコンテンツが、
まるっきり未経験の「不安」タグのついた「会社」というコンテンツに
完全に取って代わられるのである。

「会社」とそれに付随する内容についても同様にコンテンツとして評価され、
「面白い」「つまらない」「意義がある」「無意味」と言ったように独断と偏見で評価が下される。
大抵の場合「会社」については、無数にある中で自身が取捨選択し、興味があるとしたコンテンツを超える評価がされることはなく、「会社」という興味のないコンテンツによって消費される可処分時間を最低限に抑えたいと考えるのだ。
これがZ世代の「ワークライフバランス」である。

仕事に求める「好き」

Z世代が「会社」というコンテンツを評価する上で重要視している基準がある。
その中の一つが「意義」である。

専ら、会社に所属して経済活動を行う上で社会にどの様な影響を与える事ができるのかについてやその業務に従事することで得られる成長、あるいは得られる報酬について「意義」を感じ活動している。
そのような基準も業務内容への評価を下す一因となるため、
Z世代は単純作業よりも創造的、
または複雑で業務への理解が求められる業務を好む傾向にある。

そのため、単調で冗長な研修や繰り返し作業について抵抗感を持っており、
今回辞めた3名についても、繰り返し作業の遂行のための2ヶ月強にわたる研修について嫌気が差していたというのも退職の一因となっている。
(より大局的に捉えられれば、その繰り返し作業の遂行も複雑な業務・創造的業務の予行であることはわかるのだが……。)

このように「好き」を重視するZ世代において、
「会社」というコンテンツを好きになってもらう為には
業務を行う「意義」を明確に示す必要がある。

それこそがZ世代とうまく付き合っていく手段となる。

おわりに

ここまで、3人の同期が辞めたという内容より
Z世代の生育環境及び思考について記述してきた。

内容としては
・「置かれた場所で咲けへ」を認められない「環境」重視の思考
・経験よりも結論を急ぐ近視眼的思考
・タイムパフォーマンスを意識した就労態度
・可処分時間を興味のないことで消費されることへの抵抗感
・会社や業務についてもコンテンツと同様に評価する価値観
といった内容であった。

では、企業はどのようにZ世代と接していけば良いかについて、
次回更新のnoteで書いていく。

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