コッコのはなし
住み慣れた団地から、戸建てに引っ越して間もなく、父がバイクの荷台に一羽の鶏を積んで帰宅した。
「養鶏場からもらってきた。」と言う。次に父は材木を荷台に積んで帰宅。鶏小屋を作った。
その小屋に、もらってきた鶏が置かれた。白いはずの羽は、不健康に黄ばんでいて、フンが所々についていた。毛並みも悪くバッサバサで、艶はなく、ウルトラマンに出てくる"ジャミラ"のように、妙に羽の付け根が浮いていた。
「本当に鶏なの?」という感じだった。
しかも臭い。5才だった妹は、鼻をつまんでいた。フンの悪臭と薬臭さがあった。
そして…ずっとしゃがんでいた。狭いゲージの中で、昼夜産卵と排泄だけを繰り返し、歩くことを知らないんだよ、と父が言った。
筋力もなく、関節も固まっていて「運動能力0」状態だったと思う。
いつもより、広すぎる空間に戸惑っているのか、鳴くこともしないで、おびえているようだった。
名前は、誰がつけたか「コッコ」になった。
コッコは生気がなく、鳴かず、動かずで、「しんじゃうんじゃないかなぁ。」と中学生だった私は思った。
鶏小屋に置かれたコッコは、じっと動かなかった。
父は、どこからか飼料を買ってきて、それに料理の時に出る野菜や果物の皮やきれっぱし、家族が食べ残しの魚の骨を砕いたものなどを混ぜた。
コッコは、いつの間にか餌を食べ始め、歩くようにもなった。羽は綺麗に白く生え変わり、ピタッとコッコを包み、引き締めた。羽部はしっとりと艶が出ていた。首を伸ばし胸を張って、一歩一歩ゆっくりと歩くコッコは、自信を取り戻し、きれいな鶏に変身していった。
自分で羽ばたいて、止まり木にものぼれるようになった。 そして、朝には卵を産み、「コケコッコー!(産みましたー。)」と元気な鳴き声を聞かせてくれるまでになった。
コッコは一日一個しか卵を産まないので、家族の誰がコッコの卵を食べるかでちょっともめた。
鶏小屋の一角に、出窓のように壁からとび出た餌箱がある。そこにコッコは頭を突っ込んで、餌を食べる。餌をつつくコッコの頭の上に蓋があり、外から蓋を開けて餌を入れる。食べている最中に蓋を開けると、最初は逃げていたコッコも、慣れてくるとそのまま食べるのをやめなくなった。そこで、とさかを触らせてもらった。コッコは、動じず食べていた。
濃いピンク色のとさかは温かく、ぷにゅぷにゅとやわらかくて、気持ちよかった。とさかを撫でられながらも、コッコは夢中で食べていた。もう全然臭くはなかった。
コッコから「産んだんですけどー。」と合図があったら、早めに取りに行くようにと父が言った。コッコが卵をつついたり、踏んだりして、万が一中身を食べてしまうと、次から、産んでも食べるようになってしまうから、と父が言った。山深い信州育ちの父は、鶏や山羊を飼っていた。
帰宅し、「コッコ!」と呼びかけたり、餌をやりながら、とさかを触らせてもらうのが、いつの間にか習慣になっていた。
団地で金魚と文鳥を飼っていたが、サイズが大きくなった分それとは違う反応があった。「動物っておもしろい。」と思った。
そうしたら・・・
父は、また鶏を連れてきた。今度は4羽。
全部で5羽になった。父は、家族5人分の卵の確保をもくろんだのだろうか?
コッコと同じく、この4羽たちも、ボロボロの状態だった。汚い、臭い、気の毒、の"3K"状態。メンタルは、相当ズタズタだったと今にして思う。もちろん、コッコもそうだったはず。
コッコのいる小屋に入れたけど、動物の世界は厳しく、コッコは弱い立場の4羽たちを攻撃してしまった。仕方なく父は、コッコの隣に新しい小屋を作り4羽を入れた。
あとの流れはコッコと同じで、4羽とも本物の鶏の姿を取り戻し。卵を産み、にぎやかに「産んだってばー!」と知らせてくれた。我が家の朝は、まさに鶏の鳴き声と共に始まった。
あの頃、家の周囲は原っぱが広がり、家はほとんど見当たらなかった。我が家の両隣とも、いや、周囲にほとんど家はなかった。
今なら、ご近所からクレームがあってもおかしくない。
のどかな時代でした。