モノより記憶、そして記録
先日、デスカフェを久しぶりにリアルで行った。
こんなご時世なので少人数でこじんまり。
模造紙を囲みながら、ゆるゆるとしたペースでのおしゃべり対話を楽しんだ。
どう送られたいか どう送りたいか
ラウンドを2回に分け、問いに基づいて話をした。
前半は自分のお墓や葬儀はどうしてほしいか
後半は大切な人をどう送りたいか。
これを考えるにあたって、様々な葬送手段やお墓の現状を説明した。
やっぱり、皆さん衝撃だったのは2点。
「ヒューマンコンポスティング」と
火葬された骨はセラミック状になり、土に還らない
ということ。
これを聞いてしまうと、皆さんぐるぐると心が回り始める。海洋散骨や樹木葬って、セラミックを舞うことになってるの?という疑問や、土に還るのはいいけど「肥料」ってどうなの?という感情も芽生えてくる。
んじゃぁ、どうしたらいいんだい!
この気持ちを共有できるのがダイアログの醍醐味かしら( *´艸`)
残ってほしいものって何?
こう考えていくなかで、「やっぱり思い出してもらったり、思い出すために何かモノがあるといいな」という話になった。時計であったりアクセサリーであったりという「モノ」を手元に置きたい。
…とはいえ、モノよりも、写真の方がいいな、過去帳のような記録がいいな、ということに話は変わってきた。それは、大切な人だったり自分の生きていた証を心にとどめておきたい、という心が垣間見えてきた瞬間だった。
モノよりも、大切にしたいのは生きた証の記憶。だからこそ「記録」で残したい。
なんだか新しい送り方のイメージが自分なりに見えてきそうな気がしました。
ま。先のことはわからないけれど♪