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ワークショップは大吟醸にあらず

なんのこっちゃ?のタイトルかと思われたのでは?(笑)
実は私の過去の心の傷を表しているフレーズなのだ。

 私は、「まず」研修講師だ。ワークショップを運営し始めたのは、そのあと。だから、ワークショップ運営を始めた頃のプログラムデザインは「研修講師」としての設計が根っことなっていた。
私は、研修もワークショップも、参加者(研修では受講者)に、
「内発的な気づきを得てもらい、明日からの行動に活かしてほしい」というねらいを持っている。
      参加した誰もが「解」を持ってかえってほしい。
ここが私の落とし穴だった。

 研修の時に講師の私が問われるのは「じゃあ、どうしたらいいの?」ということだ。受講者はそんな明確な「解答」を求めてくる。
 例えば、「『挨拶は笑顔で』と教えられてきたが、その通りにやったらクレームが来た。どうして?」という問いにはどう答える?しかも納得させるには?そんな疑問に対し、ストンとハラオチさせるような「解」が受講者には必要だ。

 そんな思いを持ちつつ、仲間と対話ワークショップを開催した。ずいぶん前なのでリアル開催。MFをする自信はあった。そして、場はとても盛り上がっていた。
 会が終わった後に、振り返りをした。そこで言われたのは
「すっきり分かりやすかったけど、なんか雑みがないんだよね」
「ワイワイといろんなことを話した後、思いの交錯があんまりなかった。納得するようなことはたくさんあったけど」
びっくりした。納得は得られたが満足度はあまり高くなかったのだ…!
そこで、仲間がぽつりと言った。
「ワークショップってもっと雑みがあっていいんじゃない?今日は大吟醸みたいに、さらっと、すっと、していたんだよね。純米酒…にごり酒くらいが、僕はこのみだな」
「…?!」私は、その意味が良くわからなかった。参加者は何か答えを探しに来るのだから、その解が明確なのに、何が悪いんだろう??

 こんなもやもやとした思いを持ちながら、ワークショップを企画し続ける日が続いた。答えを曖昧にしたらいいんだろうか?それが満足度を挙げるのだろうか?自分に問い続けていた。

 その後、対話ワークショップを重ねるうちに、「大吟醸よりにごり酒」の言葉がジワリと理解できてきた。
 モノローグをもやもやから、「そうか、そうだったんだ」と自覚するにはダイアローグがいい作用を起こす。自分の言葉と他者の言葉が交差する時、もやもやが自分のなかにカタチをつくる。それがダイアローグの力だし、その機会が対話ワークショップなのだと思う。
 そして、そのカタチはそれぞれに違うもの。だから、「明確な解」である必要もない。雑味のある中からカタチが見えてくる。そのカタチも雑味があっていい。研ぎ澄ますのは、それぞれのモノローグに持って帰ってもらえばいい。こんな風に感じ始めてきた。

 いま、私はワークショップのグランドルールを説明する時に「もやもやを大切に持って帰ってください」とお伝えしてる。
 雑味を大切に。ワークショップは大吟醸にあらず。たくさんの雑味を味わってほしいな、と願いつつ、今はプログラムデザインをしている。

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