映画『ゆるキャン△』のこと
1.10年
10年は経っていないと思う。
が、まあわかりやすく言って、10年。
映画になった『ゆるキャン△』の世界にはテレビアニメからだいたいそれだけの月日が流れていた。ざっくり高校卒業からの10年。そこを映画にするのはかんたんなようでかなりたいへんだ。登場人物はみな社会人になっていた。だいじょうぶかな。社会での挫折を盛り込めば映画(=2時間)にはしやすいだろうが、やりすぎれば『ゆるキャン△』ではなくなるのではないか。あの世界にどうやって10年を持ち込むかが勝負だ。結論から言うと、物語はある登場人物にそれを任せていた。
ちくわ(チワワ)だ。
人物でなく犬。そうか、その手が。犬にとっての10年。それは人にとってもむろん10年だが、言ってみれば「かなりの10年」である。すっかり老犬になったちくわは飼い主の恵那とともに土手を歩く。道行く老婆にも抜かれるペースだ。そんなちくわに恵那が言う。
「ゆっくりいこうね」
10年だ。10年が経っている。恵那とちくわは並んで土手に座る。川が流れている。恵那はちくわの背中をさすりながら言う。
「あったかいねえ」
10年だ。スクリーンに10年が映っていた。まさか『ゆるキャン△』がこんなことをしてくるなんて。いや、思い起こせばテレビアニメ版ですでに恵那はいずれ訪れるであろうちくわとの別れに言及していた。後悔のないように、みたいなことを言っていた。たしか。だから、映画の冒頭でいきなり10年の経過を告げられたのではない。10年はテレビアニメの時点からすでに始まっていた。
日常系。『ゆるキャン△』をそう呼ぶことに異論はない。ただ、陳腐さを恐れず堂々と太字で言えば「日常は終わるからこそかけがえのないもの」であり、その空気をいつのまにかまとい、映画館の画面にまで堂々と持ち込んだ『ゆるキャン△』は、かなり覚悟の入った日常系だと思う。
2.富士山
もうひとつ印象に残ったのが、配給会社が松竹だったことだ。なによりも早く画面に映る富士山は作中で何度も参照されてきた通りなでしこがもっとも好きな(あこがれの)存在であり、その富士山(とか、松竹とか、別れがいつか来ることとか)と同じように、映画『ゆるキャン△』はスクリーンに映されるずっと前から揺るぎなくそこにあったんじゃないかという感覚をおぼえた。映画に、なるべくしてなったのかもな~。そういえばタイトルの「△」って富士山のことでもあったのかな?