映画『ハウス・オブ・グッチ』のこと
サー・リドリー・スコットにわたしが抱く印象は「おしゃべり大好きおじさん」だ。もちろん「映像の魔術師」であり、だからこそ、いろんな物語をいろんな語り口で見せてくれる楽しい紙芝居屋さん的な印象がある。
今回も「語り」にノリノリで嬉しくなった。べつに小気味のいい音楽で物語をばんばん進めていくわけではなく(それはスコセッシ)、たとえば夜の怪しいパーティーシーンの直後にぽん、と昼の街中のシーンが入り、カメラがこちらを向くと、さきほどまで暗がりで仮面をつけアダルトな雰囲気を出していたレディー・ガガが陽光のもとコーヒーを飲んでる、みたいな、自由奔放なおしゃべりスタイルのことだ。
……自由奔放……いや……うーん……
もしかすると、同日公開だった『クライ・マッチョ』のクリント・イーストウッドのほうが自由奔放にやってきた人かもしれない。もちろん「自由には責任がつきまとうぜ」としかめっ面のエクスキューズを決めつつ。てか、映画の自由って? あ、リドリー・スコットがやりたいのは映画なのか物語なのか、みたいなことを考えたいのかも。
映画を見ていて「映画だ!」と思うとき、必ずしもそこにおもしろい物語はない。が、物語がないと映画にほぼならない。かといって、両者は一体なわけはない。ふ~ん。
リドリー・スコットを観ると、いつもそんなことをぐだぐだ考えてしまう。で、トニー・スコット死んじゃったなあ、と暗くなって終わり。
あと、「お金持ちの実話」で同監督の『ゲティ家の身代金』を思い出したかったが、なにも覚えてないので思い出せなかった。レディー・ガガと占い師がメキシコ感のあるカフェみたいなとこで悪だくみをしてるところは、お、『テルマ&ルイーズ』になるのかな!?とわくわくしたが、とくになりませんでした。