段図抄日記 2022年9月5日~9月11日
これなに?
番組内でも取り上げました
▲「段図抄」を始めたきっかけ、作成中の狂気じみた心境、今後の灰色の展望について語りました。気の迷いで聴いてください!
先週の段図抄日記
それでは、今週の段図抄を
9月5日(月)「不良」
■ものすごくひさしぶりに「ちくわとちくわぶ」のことを考えた。あの熱意はなんだったのか。
▼川柳誌『MANO』第17号(2012年4月)は小池正博の「筒井祥文における虚と実」など。筒井祥文句を例にとった「読み」のかんたんな実践と、その意義について。ラジオポトフで取り上げたい。
9月6日(火)「自分の力で」
■残響スタジオでラジオポトフ収録。ツイッター経由でおすすめ句をいただきつつ「うばいあえ!現代川柳」の第二弾を。ほかにも昨日読んだ小池正博さんの筒井祥文句の読みの記事も紹介するなど。ゼミなのか?
▼気づけば再生回数8000回突破。あざす。
9月7日(水)「夜更けの三連符」
■ラジオポトフ編集を粛々と。効率化と新鮮味のキープを兼ねて手順をあれこれ工夫する。サムネイルから作ったりとか。
▼川柳誌『MANO』第18号(2013年7月)は石部明の死に呆然。同人らの言葉が前を向いているとかんじられるのは本人の人柄によるところもあったのだろう。あったのだろうか。あった。検索すると小池正博さんのブログがヒットする。石部を「川柳界のリーダーとしても大きな存在であった」「川柳の伝統の批判的継承者」と表現する小池さんだ。
9月8日(木)「デザインという病」
■ラジオポトフSeason30の編集。30週もやっていればさすがにどの作業が時間を食うかなんとなくわかってきた。食われないようにするのは無理ということも。食われる心構えを持つことしかできない。おもしろいように食われる食われる。
▼Ptf.131「またうばいあえ!現代川柳」の素材を聴きながら、加藤久子句の品の良さに(ようやく)思い至る。『MANO』の同人ひとりひとりに順番にスポットライトがあたっていく。自分のなかで。
9月9日(金)「べつの歯医者」
■夜は月イチ恒例のスペースラジオポトフ。いつもなぜかうまくいく90分。ラジオポトフ本編よりもラジオ番組らしいという意見もある。ひとえにゲストMCの鳥原弓里江さんの尽力だ。
▼川柳誌『MANO』第19号(2014年9月)は小池正博さんの「河野春三伝説」がもう、べらぼうなおもしろさ。春三という個性とその実作を引き合いに出しつつ、小池さんはおわりのあたりで言う。
▼(そこに至るまでの)話題のたどり方が充実していてわかりやすく、誠実で、いきいきした語りぶりも読んでいて楽しい。同号では樋口由紀子さんの「需要と供給」も、小池さんとはべつのアプローチから「川柳を進化させていこう」という決意にたどりついている。いや、その決意はずっとあって、足元の地面を何度も踏み固めているかんじか。
9月10日(土)「俯瞰段」
■段図抄は41回を超え、ようやく文章パートにも手ごたえを感じてきた。読む人はいない。あくまで自分の中の手ごたえだ。ただ、段図の写真ストックが無い。しばらくお休みかな。
▼川柳誌『MANO』第20号(2017年4月)は最終号でもある。編集体制を変えつつも20年20号を走り終え、同人らの言葉にも感慨がにじむ。時を経て読んでいる自分もぐっときました。とはいえ、この雑誌はまったく過去ではない。「古びていない」のではなく、たんに「ついきのうのこと」である。おもしろい。次はなにを読もう。あるいは……
9月11日(日)「無段図」
■昨夜はPtf.131「またうばいあえ!現代川柳」が配信に。番組はほぼ毎回なにかしら新たな試みをしつつ、同時に「その次の回のネタ出し」も兼ねているところがある。次はどうする。河野春三か。加藤久子か。あるいは。
▼あくまでこの場所は「段図抄日記」であり、現代川柳日記ではない。しかしわたしは読みはじめてしまった。樋口由紀子さんが編集発行人を務める川柳誌『晴』である。
※来週はもう書きません
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