モノとヒトの勿体無い
モノもヒトも愛せるように、
まずは「勿体無い」と思える心を。
*
僕は物持ちが良いと思う。
と言うよりかは勿体無いが強い。
毎日かけているメガネは10年弱使っている。
フレームは色褪せており、
決して綺麗とは言えない。
一般的には買い替えて当然だと思うけれど、
僕はメガネが割れるまで買わないと思う。
理由は愛着どうこうではなく、
まだ使えるから。
使えるなら何だって良い。
そのクセ服はすぐに買い替える。
ベルトに関しては中学生から使っていて、
もう20年以上も経っている。
20年以上付けた耐久性はさることながら、
何年も体型が変わらないことにも驚く。
そのクセ趣味はコロコロ変わり、
不要なモノで埋め尽くされている。
勿体無い。
ふとモノではなくヒトで置き換えてみる。
対人関係に勿体無いは起こるのだろうか。
*
僕は友達が少ない。
アドレス帳の友人は20も無く、
使わないメールアドレスは消去する。
僕の勿体無いはモノにのみ起こり、
人に対しては執着がないように思える。
モノにはあって、ヒトにはない。
極端だなと思うと同時に、
その20にも満たない友人たちは、
20年来のメガネやベルトのように、
長く深く濃い時を過ごしたように思える。
僕が勝手に思っている可能性は高いが。。
*
たとえば友人の1人は、
幼稚園から大学まで一緒で、
同じサークルにも属していた。
大学時代は僕に友達が中々出来ず、
彼と過ごすことが多かったように思う。
たまたま進路先が一緒なだけで、
「一緒に合格しようね」なんて、
臭いことを言った記憶は全く無い。
それでも彼とは仲が良く、
未だに1年に1度の頻度で会っている。
「少ねー!」と思うかもしれないけれど、
僕は出不精で全く人と会おうと思わない。
つまり1年に1度でも頻度は高い。
そんな彼にも僕の鬱病は伏せている。
そこに信頼関係があるのであれば、
間違いなく彼に伝えているだろう。
だけどアドレスに入る20人全ての友人に、
僕が鬱病であることは伝えていない。
その20人とは連絡をたまに取り合い、
僕にしては珍しく繋がる人たちなのに。
縁の断ち切りが恐いのか。
はたまた同情が嫌なのか。
ただただ面倒臭いのか。
そのどれにも該当するようだし、
そのどれにも当てはまらないと思う。
多分メガネやベルトと同じように、
きっと「勿体無い」ことだと思う。
信頼関係がなくたって、
愛着がそれほどなくたって、
何故だか一緒にいる理由は、
「勿体無い」で良いじゃない。
*
欲しいモノは沢山ある。
新しい服が欲しい。
新しいオモチャが欲しい。
新しいDVDが欲しい。
新しい家電が欲しい。
新しい趣味が欲しい。
新しい名誉が欲しい。
欲でまみれて、前も見ないほどに。
あわせて「勿体無い」がたたって、
家には彼方此方にモノが散乱している。
だけど貧乏臭いように思えるけれど、
この「勿体無い」を大切にしたい。
モノを通じてヒトを、
ヒトを通じてモノを愛せるように。
いつか愛着が芽生えることを願って。
メガッパ
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