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モノとヒトの勿体無い

モノもヒトも愛せるように、
まずは「勿体無い」と思える心を。

僕は物持ちが良いと思う。

と言うよりかは勿体無いが強い。

毎日かけているメガネは10年弱使っている。
フレームは色褪せており、
決して綺麗とは言えない。

一般的には買い替えて当然だと思うけれど、
僕はメガネが割れるまで買わないと思う。

理由は愛着どうこうではなく、
まだ使えるから。

使えるなら何だって良い。

そのクセ服はすぐに買い替える。

ベルトに関しては中学生から使っていて、
もう20年以上も経っている。

20年以上付けた耐久性はさることながら、
何年も体型が変わらないことにも驚く。

そのクセ趣味はコロコロ変わり、
不要なモノで埋め尽くされている。

勿体無い。

ふとモノではなくヒトで置き換えてみる。

対人関係に勿体無いは起こるのだろうか。

僕は友達が少ない。

アドレス帳の友人は20も無く、
使わないメールアドレスは消去する。

僕の勿体無いはモノにのみ起こり、
人に対しては執着がないように思える。

モノにはあって、ヒトにはない。

極端だなと思うと同時に、
その20にも満たない友人たちは、
20年来のメガネやベルトのように、
長く深く濃い時を過ごしたように思える。

僕が勝手に思っている可能性は高いが。。

たとえば友人の1人は、
幼稚園から大学まで一緒で、
同じサークルにも属していた。

大学時代は僕に友達が中々出来ず、
彼と過ごすことが多かったように思う。

たまたま進路先が一緒なだけで、
「一緒に合格しようね」なんて、
臭いことを言った記憶は全く無い。

それでも彼とは仲が良く、
未だに1年に1度の頻度で会っている。

「少ねー!」と思うかもしれないけれど、
僕は出不精で全く人と会おうと思わない。

つまり1年に1度でも頻度は高い。

そんな彼にも僕の鬱病は伏せている。

そこに信頼関係があるのであれば、
間違いなく彼に伝えているだろう。

だけどアドレスに入る20人全ての友人に、
僕が鬱病であることは伝えていない。

その20人とは連絡をたまに取り合い、
僕にしては珍しく繋がる人たちなのに。

縁の断ち切りが恐いのか。
はたまた同情が嫌なのか。
ただただ面倒臭いのか。

そのどれにも該当するようだし、
そのどれにも当てはまらないと思う。

多分メガネやベルトと同じように、
きっと「勿体無い」ことだと思う。

信頼関係がなくたって、
愛着がそれほどなくたって、
何故だか一緒にいる理由は、
「勿体無い」で良いじゃない。

欲しいモノは沢山ある。

新しい服が欲しい。
新しいオモチャが欲しい。
新しいDVDが欲しい。
新しい家電が欲しい。
新しい趣味が欲しい。
新しい名誉が欲しい。

欲でまみれて、前も見ないほどに。

あわせて「勿体無い」がたたって、
家には彼方此方にモノが散乱している。

だけど貧乏臭いように思えるけれど、
この「勿体無い」を大切にしたい。

モノを通じてヒトを、
ヒトを通じてモノを愛せるように。

いつか愛着が芽生えることを願って。

メガッパ

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