【インド滞在記🇮🇳Vol.2】 インドで消費社会について考える
一人暮らしの時に使っていた、水場周りに使える雑菌効能のあるドロップス。
封が開いたまま残っていたので、3月の記憶を辿って、インドで使おうと思って持ってきていた。
場所は手洗い場とトイレ。
比較的綺麗だけど、それでもストレスを少しでも減らしたいと思って。
※今回は暮らしの疑似体験をしたくて、極力日本の日常を再現できるように、いろいろ持ってきてます。おかげで超過&激オモでしたが😇後悔なし💮
クイックルワイパーとか持ってきてよかった👍
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でも、これがまた個人的には面白いことがあって。
来て早々にドロップスを落として割ってしまって、全て中身が出てしまいましたーーーーーーーーー🎉パンパカパーン🎊
おかげさまで、予定していた日常使いはあっという間におじゃん。
「これ、いらないよね? マストではないよね?」
って言われている気がして笑えた。
出国前、実は何度かパッキングをしました。
これあったら便利だろうな、、っていう思いがあってどんどん増えてく荷物。
でも重たいし、超過計算したら馬鹿馬鹿しいし、そもそま収まらないし。。。
今回は一人で移動するから、途中で手伝ってもらったり、荷物見ててもらえたりしないし。。とか。
キャリーを開けるたびに、途中、あれ?これエゴだよな、私のエゴがこれ持って行きたいんだよな。
とかいろいろ思って、頭では分かっているのに葛藤して(こんなことで)謎に母にも八つ当たりしたり😂
あったら確実に便利だけどマストではないもの。
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今の私は服装も自分の好きなスタイルがあるので、そんなに服もたくさんは持っていない方だと思ってる。
だけどこだわりがあるw
ブランド物は買う余裕もないし持っていないけど、
こだわりはあるw
着れればなんでもいい、使えればなんでもいいっていうわけではない。
このドロップスも然り、
インドに持ってきた日本でもよく使ってるハンドバッグも然り。
正直こちらに来たら機能を果たせないんであればなんの価値もない。
(Aesopのドロップスだからイケてるね!とか、
〇〇のバッグ持ってるの?良いね👍とかない)
価値もないと言ったら失礼だけど
結局物事の価値って、そのことについて意識が向いている人がどれくらい居るかで決まるのかなと思った。
例えばハイブランドの物を持っていて、それを知っている人たちの中で集まってればその価値を見出せるかもしれないけど、そのブランドについて全く知らない人の中で持っていても、その辺の服や鞄となんら変わらない。
いろいろ思った挙げ句考えたのは、
"承認欲求"の表れだったんだなぁって、、私の場合。
"これを持っている私"っていうことで満足した気になっている。
(本当はそんなことでは満たされていなかったということに、3月に訪れた見事に何もないヒマラヤの山々を早朝見た時、
"あ、これが望んでいたことだ"と思って、"これで満たされる"って思ったことで気がついたんだった。
※書き言葉難しい😇)
でも誤解したくないのは、もちろん自分なりに厳選して良い物をと思って身の回りに置いているから、
愛着もあるし、これからも使うし、気に入れば何度だって買うと思う。
実際効能とかちゃんとある。
だけど、きっと今までほど執着はしない。
普段いかに私たちはいろんな広告やイメージに意識が向いているか。
これもまた良い悪いではなくて、ただただ自分はどうしたいのか。
安いからなんでもいいわけではない。
その裏にある劣悪な労働環境を考えたら、agreeはできない。
高いからなんでもいいわけではない。
高くても壊れる時はあっという間。ほんと一瞬。
そんなことを考えていたら、昨晩丁度、
「知ってる?これ履き続けて7年目」
っていうズボンを謎に紹介してもらった。(いや、知るわけなかろうww)
なんか値段は聞けなかったけど、多分めちゃくそ安いと思う。
ほつれてるところもあるけど、なんら問題ない感じ。
本人も部屋着だからノープロブレムって。
物を大切にすることをまじまじと見せられた。
今年の流行はこれだから〇〇買ってみた、、じゃない。
【より少なく、より豊かに】
を本当に感じるんです。
良いものを長く。
とすごく思ってて、でもじゃあ良いものって何?って結構抽象的だったりする。
今の自分の身の丈を越えないで手に入れるものも"良いもの"の一つかもしれない。
量よりも質
と思ってきたけど、
質とはまた違う観点でなんか大切なものがあるような気がした。
ここには何もないけど、すべてある。
大切な人は何も持ってないけど、すべてもってる。