錯覚ばかりの世の中だから
人は直感と感情で動く生き物です。それは、変えられることができません。
一方で、世の中は錯覚ばかり。
このテーブルは左の方が長く見えますが、実際は同じ長さです。(ツイートの文章はひっかけです)
どう見ても左の方が長そうですが、同じなんです。ウソだと思うのなら測ってみてください。
こちらは、デューク大学行動経済学部教授のダン・アリエリー氏が例示した有名なイラストです。
少し細工をしたコメントを載せるだけで多くの人が騙されてしまいました。
こんなの私だって勘違いしてしまいます!
▼ダン・アリエリー氏の書籍はこちら
こんな錯覚が溢れる世の中において、常に正しく合理的な行動を取ることは到底できそうにありません。
誰だって勘違いしたり、間違ったりするものです。
多くの詐欺はこういった錯覚を巧みに利用したものが多いのではないでしょうか?
それでは、こんな世界で私たちにどんな対策ができるのか?
ひとつは知識。
このイラストが「左の方が長そうだけど実は同じイラストだ」という知識があれば騙されることはおそらくありません。
先ほどのイラストを今度見たときに、今度は騙されない可能性が高いでしょう。次、間違えたらアホですよ。
オレオレ詐欺も同じですね。「オレだよ、オレ」と名乗らずに言ってくるのはオレオレ詐欺の可能性がある、という知識があれば騙されずに対策することができるのです。
そうなんです。錯覚は、既知になれば怖くありません。
この場合に怖いのは錯覚ではなくて「人」の方ですね。
なぜなら、人はこの知識を利用して「ばーか。よく見てみろ。左の方が長いのは錯覚で同じ長さなんだよ」とマウントを取ってくる人が必ずいるからです。
でも、これは知ってるか知らないかの話だけであって、言ってる方も初見のときは騙されたはずなんです。
そういう不用意なマウントを取られないようにするためには知識格差を縮めておく必要がありますね。
しかし、世界は広いので全てを網羅するのは難しい。
もう一つの対策は、純粋に錯覚を見抜くことですが、それはもっと難しい。錯覚は本能的に起こるので気づけないからです。
では、どうすればいいか?
錯覚との共存です。
事実を変えることはできなくても、解釈を変えることはできる。
錯覚によって合理的でない行動を取ったとしても、それを理解し、許す心があればそれでいいのです。
例えば、宝くじは当たる確率が異常に低いからアホしか買わない商品だ、とか新築戸建ては負債だから買うのは良くない、とかそういう議論が頻繁に巻き起こるのを見ます。
でも、それは仕方ありません。
だって宝くじは当たれば2億を手にできるし、マイホームは昔ながらの日本人の夢なんですもの。
買う人がいても不思議ではありません。
一方で、その経済活動をつぶさに検証し、経済的合理性を明らかにしていく専門家も多くいます。
知見の深い有識者の考えはやがて「既知」としての側面を帯びてきます。それが説得力のある理屈となっていけばいくほど。
誰かが提唱した「既知」を武器にして、批判をしてもあまりいいことはないでしょう。
さて、そろそろ今日の最終結論です。
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またお目にかかれるときを楽しみにしています。