"顔晴っていきましょう。"という呪い
顔晴っていきましょう。という言葉。
毎朝のレイチェルタイムズを配信するときのツイートに書いています。
「顔晴るっていい言葉ですね」「顔晴るっていう表現初めて知りました」と言ってくださる方もいます。
もちろん、私の造語ではありません。
昔からいろんな人が使っています。
私が出会ったのは、大学時代のサークルの先輩。
彼女はカリスマ性があり、みんなから慕われてる人でした。
100人程度が在籍するサークルの代表です。
そうそう、私は大学時代は児童ボランティアサークルに所属していて、日夜子供たちのためにいろんな活動をしていました。
で、その先輩がよく使っていた言葉が「顔晴っていきましょう」です。
毎日なにかと大変だったり、しんどかったりしても顔ぐらい笑顔がいいじゃないかと。笑っていれば何かいいこともあるんじゃないかと。
そんなメッセージを込めていたのかもしれません。
その先輩は太陽のような存在でした。
美人で明るくて天真爛漫なキャラクター。
全員から好かれている・・・・。
はずでした。
しかし、
“美人で明るくて天真爛漫なキャラクター”というのはマンガではいいかもしれませんがリアルでは時に残酷で、必ずしも全員が良しとすることはありませんでした。
いわゆる”陽キャ陰キャ論争”の中で先輩は陰キャ勢の批判の的になっていたのです。
陰キャってだいたいロジカルで的確だからね!怖い。
今思い返せば先輩の人気があるからこその妬み嫉みのような感情が燃料だったようにも思います。
取るに足らないことを取り上げては裏で批判を言い放つ。
やがて
裏でのバッシングの広まりは加速度を増し、いつの間にか批判勢力がグーーンと力を増していきました。
なぜか?なぜ批判勢力が増していったのか?
先輩も当時まだ大学生。人格の綻びや人間らしい感情・言動が多く見られたからです。
そりゃあハタチそこそこ。ちょっとむきになるような瞬間があったり、無知な側面があったり、論理破綻していたり、そんなのは普通の人と同じようにあるのです。
それからは粗さがし。
陰キャ勢の冷静かつロジカルな批判意見は先輩のカリスマ性を持ってしても跳ね返すことはできませんでした。
表では良好でナイスな雰囲気を醸成しつつ、裏では先輩は大バッシングを食らっているという状況になりました。
「裸の王様」
そう揶揄する人もいました。
もちろん
先輩もそのことを知らないわけではありません。気づいているけど常に笑顔。気づいていないふりをし続けました。
私が、世界のパワーバランスの不思議に接した瞬間です。
本当ならば全員から愛されて慕われるはずの人が、ちょっとのボタンの掛け違えで総スカンに近いような状況。
私は元々先輩とかなり近しい関係性でしたが、批判が飛び火しないように程度な距離を取るようにしていました。まぁ、私はそんな人間です。
ときには、陰口が陰ではなく、表に出てきてるように感じたところもあったように思います。
それでも彼女は言い続けました。
「顔晴っていきましょう」と。
私は思いました。
こんなにつらい思いをして、悲しい思いをして、顔晴っていきましょう。というのも皮肉なものだな、と。
顔で笑って、心で泣いて。
“顔晴っていきましょう“という言葉が先輩にとっての希望だったのかもしれません。自分を支えてくれる言葉。
もしくは
“顔晴っていきましょう“という言葉が先輩にとっての呪いだったのかもしれません。自分を縛ってしまう言葉。
そんないわくつきの言葉。”顔晴っていきましょう“
私はなぜ"顔晴っていきましょう“を使うのか?
あのとき先輩を苦しめながらも支えた魔法の呪文を、呪いではなく誰かの希望になる可能性を見ているのかもしれません。
言葉に人格はありません。
受け取る人によって千差万別の意味を持つ。どこかの誰かが何か前向きな気持ちを持ってくだされば、それはそれだけで素敵なことなのかもしれません。
今日も顔晴っていきましょう。