かけた労力とアウトプットと付加価値
価格設定をするときに、費やした時間を基準とする考え方がひとつあると思います。
多くの時間を掛けたのだからその分を報酬として回収しなければ。
自分の時給をいくらと考えたときに、どれぐらいの時間をかけているか。
当然の考え方でしょう。
しかし、
私は、それは価格や価値とは、なんら一切関係しないと考えます。
いくら100時間をかけても、いくら1000時間をかけても、無駄な内容は1円の価値だってないのです。かけた時間に関係なく、どれくらい有用な内容かで勝負する。それが本来あるべき値付けだと思っています。
料理もそうです。手間暇かけて思いを込めた料理でもまずいものはまずいのです。逆に短時間で作ったものでも、ちゃんと作られたものは美味しい。
この場合、手間暇かけて思いを込めて時間をかけてまずい料理と、短時間で作った美味しい料理と比べてときに、"おいしい料理が食べたい“という課題を解決してくれるのは、明らかに後者なのです。
もちろん、このケースでは、解決するべき課題がそこではなくて、例えば"手間暇かけて思いを込めて作る“というところであれば前者でしょうが。
そういった例外を除けば、短時間であろうと、インスタントであろうと美味しいものの方が価値があるのです。
ここで、後者を時短で作ったという理由で難癖付けるのはナンセンスです。
よく職場のリテラシーを揶揄する話で、エクセルを使って数式計算をすると、先輩から「それはずるだ」と言われ、昔ながらのアナログなやり方を強要される、というのがありますが、それと同じです。
大事なのはかけた時間ではなく、アウトプットの質。
あくまでそこで勝負するのが本筋です。
と、いうのは、本当に思っているのですが、アウトプットの質が判定しづらいものもあります。
それは例えば料理の味だったり、文章の質だったり。
そんなとき何が付加価値になるか?
ストーリーだと思います。
その料理に込められたストーリー。どこで採れた素材を使っているのか?その素材を獲得するために実際に現地に赴き、そこの農家と交渉した話。調味料へのこだわり、いろんな塩を試したけれど、その中でもこの料理にはこの塩が最も相性がよく、それを使ってるとか。
そんな隠されたストーリーに触れることで、同じ料理が全く違ったものに感じられるようになります。
何かを魅力にする要素、価値を高める要素は、頑張った証ではなくて、ストーリーなのだと思います。
それは自分自身にも言えることです。
自分が今の仕事を選んだストーリー。
これからどんなことを成し遂げようとしているかというストーリー。
そして、今の配偶者、恋人と一緒にいるストーリー。
それがあるだけで、自分の人生が、ちょっと素敵なものになると思いませんか?
私が今、この文章を書いている理由?
あなたにこれが届いて、1ミリでも「よかったな」と思ってもらうためです。
いつも、見てくださってありがとうございます。レイチェル。