それは全然、身勝手でもワガママでもなく、当然の権利なのです。

ご質問ありがとうございます。

アドラー心理学を物語形式で鮮やかに示す嫌われる勇気では、「全ての悩みは人間関係にある。」と書かれているほどです。

「健康の問題とか老いの問題とかいろいろあるじゃないか!」と言いたくなっちゃうんだけど、師いわく全ての悩みは人間関係に起因する。と断言されていらっしゃいます。

さて、人間関係における悩みの解決方法。

人間関係と言っても、もちろんいろんなケースがある。

相手が誰で、どういう状況で、どんな内容の悩みかによって、一口では言えないんじゃないの?

と、思うかもしれないが、ご安心ください。

これは実に実にシンプルな方法で解決することができます。

「相手は相手、自分は自分」

たったこれだけです。

相手を変えることはできないので、そのギャップに悩むのはもったいない。相手はそういう人なんだということを受け入れて、その上で対応すればそれでいい。

「その考え方はおかしい、なぜなら〜〜〜」と言ったってややこしくなるだけ。

「あー、この人っていういう人だからな。仕方ないな。」と、自分の身の振り方を変えればいいのです。

あとは合わないな、と思う人とは距離を取ればいい。

でも、どうしても距離を取れない関係性の人っていうのもいると思う。

例えば仕事で一緒の人とか、家族とか。自然と距離を取るのが難しい関係性の人たち。

それでも個人の自由が尊重される現代において、本当に距離を取れない人っているのかな?

自分にとってストレスになって人生の満足度が大幅に下がっちゃうなら、転職をするのも手だと思うし、家族とは別のところに住んで最低限の連絡に留めるのも手段のひとつだと思う。たった一度の人生だし、自分の人生はご機嫌でいきたいものだから。

自分の人生なんだから、思いっきり自分のために生きる。

それは全然、身勝手でもワガママでもなく、当然の権利なのです。

最後に、芦田愛菜ちゃんの言葉を贈ります。

「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」

「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とか言うけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」

「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」

”相手を信じる”というのは、自分の都合の良いように相手が動いてくれるのを期待するのではなくて、どんな発言・行動があっても、それを”受け入れる”だけの自分を持っていること。

”揺るぎない自分”それがあれば、人間関係で悩むこともないのです。

私ですか?

人間関係では失敗したり、悩みっぱなしです。

言うのとやるのとでは、また話は別なのかもしれません。

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レイチェル
またお目にかかれるときを楽しみにしています。