自分にとっての"オリンピック"は自分で創る
2021年7月。
中止を求める声も多かった中、東京オリンピックが開催されて本当に良かったと思います。人生をかけてオリンピックを目指してきた選手たちにこの場が提供されたことが、なによりも尊く美しい。
金メダル候補から白血病を患い、一時期はパラリンピックを目指すという発表もあった競泳女子の池江 璃花子選手。
東京オリンピック出場のために6種目続けるのではなく鉄棒に種目を絞った体操男子の内村 航平選手。
若手の台頭に押されリオ五輪以降に勝利から遠ざかり、出場権利獲得も危ぶまれた卓球女子の石川 佳純選手。
いずれも、東京オリンピックでその姿を見るだけで涙が出てきそうなくらいに感慨深い。
彼らをみて、ふと思ったことがあります。
目指すものがあって、羨ましいな
そう、私にはこれほど本気になって、生活の全てを捧げ、全神経を集中して目指す舞台がないのです。
日々、ゆるりと過ごすことをモットーにしているので、あたり前ですが、自分だって血のにじむ努力のひとつやふたつやってみたい。
高校球児はいいよ。甲子園があるのだから。
ロックシンガーはいいよ。武道館があるのだから。
アスリートはいいよ。オリンピックがあるのだから。
特に学生の間は、大人が設計した"オリンピック"的なものがあるように思います。それは、全国大会かもしれないし、学校の試験や受験かもしれません。
無我夢中になり、自分のため、仲間のため頑張ることに集中できる環境が用意されている。
しかし
大人になるとその環境を自分で設定しなければいけません。自分が心の底から本気になれる"オリンピック"を自分自身で決めなければいけないのです。
自分は、何がしたいのか。
どんな生き方がしたいのか。
どんな人間になりたいのか。
自ら考えて、自分の舞台と自分自身をプロデュースしなければいけない。
勝っても負けても涙を流し、熱くなれるような舞台。
学生の頃が人生の"最高潮"だなんてちょっと切ないですね。いつでも私たちは未来に生きましょう。