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今、すでにここに在る『1984年』
2月14日の夜に行われた『1984年』読書会。この読書会は、フェイスブックのイベントページを作ってよびかけました。バレンタインデーなのに、その関連の話題は一切出ず、2時間半に渡ってディストピア小説の描く世界観について熱く語り合い、有意義なひと時となりました。
意外な人気?に驚き
偏見かもしれないけど、noteは、重めの社会的テーマよりも、ポジティブシンキングをベースとした軽めの身辺雑記や、ハウツー系の記事が人気なのかな? って思ってました。
それが、前回書いたnoteの記事が割と人気で(当社比)驚いています。
もちろん、一般的にはマニアックな素材だとも思います。
なのでFacebookで読書会の参加者を募集した時も、希望者ゼロだったら悲しいなと思って、あらかじめこういうテーマに関心ありそうなFBフレンドの方を直接招待したくらいです。
おかげさまで、それぞれに良い意味でひと癖ある濃いパーソナリティの参加者に恵まれ、2時間半に渡って、下記のようなことを語り合いました。
・小説の概要
・オーウェルに影響を与えた時代背景や思想
・今ここに在る管理と監視社会
・話題のclubhouseについて
・プライバシーとは?
・プライバシーが守られないことの危険とは?
・個人としてどこまでの管理を社会に許すのか?
・個人の尊厳をとことん守るために闘うことが大事
・憲法で保障されていることを絵に描いた餅にしない
・限られた選択肢は自分の自由意志での選択ではない
・建前が真実と思うような「二重思考」に注意
・豊かな言葉が単純思考を防ぐ
「プライバシー」という言葉の定義の違いで、一時はどうなるかと思うような激論も、sasakiさん(下記参照)と、他の参加者のなかで展開されましたが、皆さん「お互いの違いを認める・楽しむ」という議論のリテラシーを理解していらっしゃったので、それもまた有意義でした。
その夜、「二重思考」の夢を見る
ところで、その後、私は息子と喧嘩している夢を見ました。詳しい内容は忘れましたが、最後に「T(息子の名)がお母さんをどう思おうが構わないけれど、自分のことはそんな風に(悪く)扱わないで」というようなことを言ったところで目が覚めました。
その時に頭に浮かんでいたのは「もっと大切に育てればよかった」という後悔です。当時は「自分なりに一生懸命やっている(=大事に育てている)」と思っていました。
今思うと、めっちゃ粗雑に扱っていたと思いますが、そんな風に自己弁護しなければやっていけないほど、すべての面で余裕がなかったのです。
当時はなかった余裕ができた今、反省することは、息子に「あなたは大事な存在だ」と、もっと明確かつ頻繁に伝えればよかった、ということです。
そして、しつけをしやすいように「相手を過小評価する」、相手をコントロールしやすいように「自己卑下させるように仕向ける」ということをしていなかっただろうか? ということを考えたとき、無意識のうちにやっていたかも、と思うと後悔してもしきれません。
これって、割と日本人の子育てでやりがちだと思うのです。「子どもを何よりも大事だと思いつつ」「意図的に辛い思いをさせる」って。そしてそのどちらも真実だと思い込む、「愛の鞭」などと正当化して。
そして、これもまた、『1984年』で語られる「二重思考」だよなぁ、と夢うつつの中で思ったのです。
「2+2」という計算に対して、「4」という正解を理解しているにもかかわらず、当局が与えた「5」という答えが自然に出てくることが「二重思考」で、そのための訓練(拷問と洗脳)を行うのが「愛情省」という部門なのです。
社会的な“常識”という仕掛けは、常に疑ってかからないと、いつの間にか足元を取られてしまう。今、この作品がまた注目を浴びているのは、多くの人がそのことに気がつきつつあるということではないでしょうか。
『1984年』という作品は、前も書いたように、ストーリーそのものには辻褄の合わない箇所がたくさんあります。けれども、潜在意識に訴えかけるような描写や表現がいくつもあって、そこが読者の意識を刺激するのかもしれません。
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