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もうそろそろ本気で皇室のことを考えよう

秋篠宮家の内親王婚約問題、皆さんはこれをどう考えているだろうか? 政治的にリベラル寄りで、意識が高く、教養の高い人ほど、遠巻きに見ているのを、私は内心もどかしく感じている。

スキャンダルを見守る正しい態度

私もある時期までこの件に関する報道に対し「なんだか下品。でもうまくいくといいわね」的ななま温かな視線を向けていた。

はっきり言って小室氏のトラブルは、世間一般には「よくあること」だと思う。私だってシングルマザーで息子を育てている時に、スポンサーのような男性が現れたら再婚を考えたかもしれないし、のちにそれが破談になるようなこともあったかもしれない。

しかし正直に言えば、ご母堂の言動はそれが報道の通りであれば「計算高い」という印象を免れず、その印象が彼にも重なるので、私自身も彼に好感を持っているかと言われたらNOだ。

けれども「神聖なる日本皇室の内親王の結婚相手としてふさわしくない!」などと一方的にバッシングするのは、近代社会の一員としての知性ある態度とは思えない。

なぜなら、「人は生まれる環境を選べない」という考え方は、それが近代社会を構成する重要な要素になるからだ。だから、機会は万人に対して均等に与えられるべきだという発想につながり、その機会を人は自由意志で選ぶことができることが、「幸福の追求権」を保障することにつながる。

これは過激な意見だろうか? 

だからこそ、私は今思う。「もう皇室(制度)はなくしてもいいんじゃないか」というか「なくした方がいいんじゃないか」と。戦前だったらこんなことを言ったら、命もなかっただろうけれど、ありがたいことに、今の日本は安全だ。万歳。

こうした日本を構成する素晴らしい要素のなかに、皇室は入ると思う。私は今の天皇や雅子さまをはじめとする皇室の方々には好感を持っており、彼らが日本を象徴してくれているのは、ほんのり誇らしく思う。

「ほんのり」というのは、わざわざ日の丸持って一般参賀に行ったり、お庭の掃除などはしないけれど、そうしたくなる人の気持ちもわかる、という程度だ。けれども、そういう人が国民の大多数だろう。

そんな私の目から見ても、これから適齢期を迎える皇族の結婚相手に何かあるたびにこんな騒動が繰り返されること思うとうんざりする。

そして、制度としての皇室を個人の資質だけが支えるのはもう限界にきていることを見て見ぬ振りするわけにはいかないと考えるのだ

「いろいろあるさ、人間だもの⚪︎」

小室氏のパーソナリティに欠点があるのは仕方ない。だって人間だから。そんな彼を人生のパートナーと決めている内親王は、私たちが知らない彼のいいところもたくさんご存知なのだろう。それを他人がとやかく言うことはできない。

しかし、それと同じように、この結婚について「国民(の多く)が祝福しなければならない」などという状況は、思想信条の自由が保障されるべき社会では最大限に避けられるべきだと思う。

真剣に考えなければならないこと

プミポン国王こと、タイの先代国王ラーマ9世は、国民の崇敬を集め、軍政と民主化運動のバランスをとり、クーデターさえ収めていた。

その死後に王となったワチラーロンコーンことラーマ10世は、即位後もドイツに居住し、離婚と再婚を繰り返しているだけでなく、愛人が何人もおり、さらに全身にタトゥーが入っているというツッコミどころ満載の問題児。

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2020年以降の民主化運動に「王室改革」が掲げられているのは、もちろんこの国王への不満が高まってのことと指摘されているけれども、私は「小室さん問題」というのも、単なるゴシップのせいだけじゃなく構図的にはこれと同じのように見える。

「やんごとなき立派な方々」に国民の象徴であるために、自分たちが支払った税金が使われるのは構わないけれど、それが自分たちと同じような普通の人間だったら我慢ができない、ということなのではないだろうか。

しかし、私たちはもう知ってしまった。内親王も愛する人と結婚して幸せになりたいという普通の女性であり、その相手の男性も普通の人間なのだということを。

今後はそのことを起点に皇室を考えたらいいんじゃないか。

・ 近代社会における王族貴族の役割とは何なのか?
・ 彼らが私たちの代わりにしてくれていることとは具体的に何なのか?
・ どうして一般市民にはそれ(王族や皇族の仕事)ができないのか?

私たち(日本国民)がしなければならないのは、そういうことだと思う。

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