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今日、マスクをやめてみた

車で15分程度のショッピングモールの中のカフェでこれを書いている。車を降りて、お店に入るまでの間にマスクをつけるという動作を今まで無意識にしていたが、これをあえて辞めてみた。

罪悪感と恐怖心の根拠

コロナ禍で「三密を避ける」とか「ソーシャルディスタンス」とかのニューノーマルが叫ばれる中、実は私の生活はそれほど変わっていない。

もともと家で仕事をするというスタイルなので「ステイホーム」だし、自宅は都心から一時間以上の住宅地にあるので、徒歩で移動する範囲では人とすれ違ったりするのに2メートルの距離を取るのは難しくない。

この間気をつけていたことといえば、商業施設や公共交通機関を利用する時はマスクを着用していたこと、基礎疾患を持っていたり小さな子供を育てていたりと、感染したときのリスクが高い人に会う時には気をつけていたくらいである。(相手が求めなければ会わなかった)

でも、今日ショッピングモールでマスクをすることをやめてみた。これだけでも、小心者の私にとってはちょっとした冒険。

注意されたときのために「熱中症が怖いもので」「マスクで汗疹ができてしまったので」という言い訳を用意して、それでも済まないようだったらマスクをすればいいだけの話だと思って、そうしてみた。

罪悪感もあるし、恐怖感もある。罪悪感とは、もしかしたら私がコロナウィルスの陽性者であったとして、私のせいで誰かが感染し、発症する可能性に対しての罪悪感。

そして恐怖心とは、私が誰かからウィルスに感染させられ発症する可能性に対するものと、人から感染源として見られる可能性に対するものである。

しかし、これらの罪悪感と恐怖心に根拠はない、少なくとも科学的には。あったとしても確率的に限りなく低い。

なぜなら、私は新型コロナウィルスが病気を起こすまでのプロセスを、次のように理解しているからだ。

1.ウィルスが体内に入る

ウィルスや細菌が体内に入ると、人体がもともと持っている自然治癒力が対処しようとする。それが免疫のシステムである。

コロナウィルスが体内に入れば、私たちの体内の免疫システムが働いてウィルス排除しようとする。

2.ウィルスに感染する

細菌と違い、ウィルスはそれ自体で増殖できないので、必ず宿主となる細胞に侵食する。この状態になって初めて「ウィルスに感染した」と言えるし、感染した細胞を持って初めて「感染者」となる。

けれども、ここでも人体は優れた免疫システムが働くようになっている。それはウィルスに侵食された細胞自体が自らを破壊することでウィルスの毒から人体を守るのである。

3.ウィルスが原因で症状が出る

新型コロナウィルスが、体内に侵入し、細胞を侵食し、それが増殖していく過程で「病原体」としての作用を引き起こす。その毒を体外に排出しようとして、鼻水や咳や発熱などの症状が出てくる。

症状が出ても、この段階で隔離し、人体に必要な栄養素を補給して静養すれば、健康な人なら大体2週間から10日で回復する、と言われている。(基本的に私自身は軽い風邪なら病院には行きませんが、近代医療を否定しているわけではありません。必要なら行きますが、頻度はとても低いです)

1・2・3がコロナ陽性者の大半

ウィルスが体内に入り、さらに細胞に入り込んだとしても、体の免疫システムが「病気にさせない」ようにしてくれる。

あるいは病気を克服することで人はウィルスへの免疫を獲得する。

けれども、免疫のできた人も、ウィルスの残骸は体内にあるのでPCR検査をすれば「陽性」と出てしまう。

今、第二波とかパンデミックとか言われながら毎日発表されているのは、PCR検査で陽性反応があった件数である。このことを頭に入れておくのはとても重要だ。

なぜなら、検査数を増やせば、それと比例して陽性反応数も増えていくからだ。免疫を獲得していく人が増えれば、その割合も増えていくだろうけれど、落ち着いて情報を見るようにしたい。

そして、PCR検査を受けて「陰性」であれば、永遠に安全であるかのような印象を持っている人も多いが、検査でわかるのは「検査を受けた時点で」ウィルスが(残骸を含めて)体内にあるかないかだけである。

4.重症化する(死亡のケースを含む)

けれども、なかには重症化し、死亡するケースもある。特に基礎疾患があったり、高齢者、乳幼児はそのリスクが高い。それは免疫のシステムがうまく働かなかったり、重症化までのスピードが回復力に追いつかないほど速いケースも多いからだ。また、回復した人の中にも重篤な後遺症が残った例もあると聞く。

高齢者の多い日本や先進国では、どうしても重傷者や死亡者のケースが注目される。

「だからコロナは怖い」「感染について軽く考えてはいけない」と言われるのはそのためだと思う。だけれど、感染のプロセスは、インフルエンザや風邪と同じである。

だからと言って、私は「新型コロナはただの風邪」とか「インフルエンザの一種」という考えに全面的に賛成だというわけでもない。

「わからない」を受け入れる

自分が「措置対象者」となったこともあり、私も最初の頃は、いろんなサイトを見たり、人の話を聞いたりして、この感染症の事実について、理解しようと努めた。

しかし、はっきり言って「正しい情報」を求めれば求めるほど、何が真実なのかわからなくなるのだ。

コロナについて語るいろんな「専門家」と呼ばれる人たち、それは医師だったり、公衆衛生学やウィルスや感染症の研究者だったり、臨床経験が豊富な医師だったり、立場や経験はさまざまだったけれど、病気について「結局のところはわからない」「それぞれの考えや立場で判断すればいい」と言った人の言葉が誠実に感じたし、おそらくそれが一番真実に近いんだと思う。

この世界の現象のほとんどは、まだ科学的に証明されていないことが多い。それは私が占い師だからそう思うのではなく、「事実」だ。

人体の内部を含め、全世界のいたるところに存在するあらゆる種類のウィルスや細菌についても、それらがどういうプロセスで人体に入るのかという感染経路についても、人体に入ったらどういうメカニズムで病気を引き起こすのかというメカニズムも、あるいはどのように免疫システムを含めた人体のメカニズムも、解明されていないことは、実際には私たちが思っているよりもずっと多い。

それも当然だ。私たち(人間)は人間が作ったMech(メカ・機械)ではないのだから、そんなに単純ではなく、ミステリアスな存在なのだから。

新型コロナウィルスはそのミステリー(謎)が生み出したひとつの現象に過ぎないということを述べた「専門家」の言葉が、私にとっては一番「リアル」に響いた。

けれども、その「わからない」状況に対して対して多くの科学者たちがさまざまな「仮説」を立て、それぞれに「検証」を重ねている。その態度は正しい。そうして人類はいくつもの命をつなげることができたのだから。

何が「命を守る行動」なのか?

けれども「わからない」ことは、人間にとって大きな恐怖を生む。だからまだ検証中であってもそれに対する「対策」を講じるために、特定の「仮説」が採用され、それに沿ったストーリーが組み立てられる。

今、多くの人にとっての「リアル」は、マスク着用やソーシャルディスタンスを続けているうちに、ワクチンや特効薬が開発され、いつか人類が天然痘を撲滅したように「新型コロナ」もなくなるだろう、という多くの政府機関で取られている施策に則ったストーリーだ。

「信じて求め、努力を続ければ、いつかきっとその思いは報われる」という心が救われる甘美なストーリー。けれども私は、それにはまったくリアリティを感じない。

今のように、「政治」と「医療」と「製薬業界」が密接に結びついている状況を考え合わせると、むしろそこには、ワクチンや検査を強制し、人間の自由を奪い、従わない者には制限や罰則を与えるというようなディストピアをイメージしてしまう。

重篤な熱中症にかかる人まで出てきた今、このリアリティのなかで取るべき対策とは、もはやドレスコードのようになってしまったマスク着用を続けることではないと私は思っている。

もちろん、そんな私を「自己中心的」だと思う人も一定数以上いるだろう。
それも正直、怖いけれど、甘んじて受け入れる。

また、感染したときのリスクが高い人は、マスクをしない人が近くにいたら、着用を求める自由もあると思うから、マスクは常時持参して必要に応じて着用しようと思う。

「三密」を避けたり、マスクをして、手指の消毒を欠かさないことが「命を守る行動」だと言われている。

けれども、改めて考えてみてほしい。自己回復力を上げる食事をすることや体力をつける運動よりも、人を避け、顔の半分を覆い、家にこもることが本当に「命を守る行動」なのだろうか? ということを。

ちなみに、ショッピングモールにいた約三時間の間、一度もマスク着用についての注意は受けなかった。

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