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マレーシア総選挙傍観記・前編

※これは、1年以上前にフェイスブックで書いた記事の転載です。

日本に帰って来てから、マレーシアのことをよく聞かれた。ことに2018年5月に行われた総選挙で、マハティール首相率いる野党連合「希望同盟」が過半数議席を獲得し、独立以来初めての政権交代が起こった話は、日本で蔓延している与党政権の腐敗体質と強権的性質を野党共闘によって選挙で勝つことで変えようと志す人にとって一番の土産話となるらしい。

正直に言えば政治について何か語れるほどの知識や情報があるわけではないが、一年以上現地で働いて生活してきたのだから、それなりに考えること、思うことはある。これから書くことは、そのような立場からの単なる印象記にすぎないのだが、何かの参考にというよりも、マレーシアや東南アジアに興味を持つきっかけになればと思い、残しておくことにする。むしろ私の記述に事実誤認や認識不足の点があった場合には、ご指摘いただければ幸いである。

まずざっとマレーシアの概要を述べてみよう。

地理的には、東南アジアに位置するマレー半島南部とボルネオ島の北部が現在の国土ということになっている。北緯3度ということは、ほぼ赤道直下だが、今夏、日本から来た人によると「日本の方がずっと暑い」とのことだったし、私自身にも日本の夏と比べて特に暑かったという印象はない。

この地が世界史の表舞台に出てくるのは、15世紀のマラッカ王国からだと言われている。アラブ商人との交易で栄えたこの国はイスラム教国家となり、その影響が現在も続いている。その後、ポルトガル、オランダ、イギリスの植民地を経て第二次世界大戦時には日本が占領。終戦とともに再びイギリス領となり、1957年に「マラヤ連邦」として独立した。
また、イギリスの植民地時代、スズ鉱山とゴムのプランテーションで働く労働者を南インドと中国南部から入植させたことから、今の多民族国家の形ができた。こうした民族の分断はヨーロッパ列強による植民地経営ではよく見られた手法だそうだ。

現在のマレーシアの民族構成は先住民族を含めたマレー系住民が60%強、残り40%ほどの半々が中国系とインド系だと言われている。数ではマレー系が優位だが、経済的に豊かなのは中国系およびインド系住民であり、その格差を埋めるために採られているのがブミプトラ政策である。これはブミプトラ(土地の子)であるマレー系住民への課税や起業、公務員採用などに対する優遇措置のことで、批判はあるもののこれによって国内の民族対立は緩和されているとも言われている。

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マレーシアがイスラム教国家となっているのはマレー系住民の多くがイスラム教徒だからである。日本から来てまずこの国の「異文化」を感じるのは、髪と手足を隠した「ヒジャブ」と呼ばれる衣装を身にまとうイスラム教徒の女性たちの姿であり、いたるところに見えるモスクの天を刺すような塔と玉ねぎ型のドームがある風景、一日5回の礼拝の前に街中に流れるコーランの詠唱などだろう。

しかしそのモスクの隣に、中国系住民が信仰する仏教や道教の寺、インド系住民が参拝するビンズー教の神殿が並んでいることもある。「Diversity(ダイバーシティ)」とはマレーシアのこうした文化的多様性を表現する言葉となっているが、異なる民族同士が協力して宗主国に対して粘り強い交渉を続けてきた結果、血を流すことなく独立を勝ち取ったという歴史は、国民全体に共通する誇りになっているとの説明を受けたことがある。今回の総選挙の結果も、そうした民族や宗教の違いを超えた団結があったからだということは確かだろう。
さて、この選挙の勝利は、首相となったマハティール・ビン・ムハンマド博士の存在なしには考えられない。

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マハティールとはどのような人物なのだろうか。


日本の学校では、現代史しかも東南アジアの歴史というものを教わる機会はほとんどないが、ある年代以上には「ルック・イースト」という言葉を聞き覚えがあるのではないだろうか。これは1980年代のマレーシアにおいて提唱された「西欧の個人主義よりも日本の集団主義に範をとって経済成長を目指そう」というような意味のスローガンとそのための政策である。この「ルック・イースト」を提唱したのが当時の首相であったマハティールである。
現在93歳になるマハティールは、独立運動の頃から政治に関わり、「統一マレー国民組織(UMNO)」の結成にも関与している。マレーシアの与党は1957年の独立以来今年の5月に総選挙で破れるまで、このUMNOに「マレーシア・インド人会議」「マレーシア華人協会」などが連合した「国民戦線(BN)」が政権を担ってきた。
ちなみに(Dr.)という称号がつくのはマハティールが医師であることに由来する。彼は1964年より国会議員となり、81年に首相就任、その後2003年まで22年にわたって政権を担った。マハティール政権も長期になるにつれ腐敗や強権体質が目立つようになり、それに対する批判や政局の混乱もあったが、この間上記の「ルック・イースト」を始めとするさまざまな経済政策が功を奏したことが、現在のマレーシア発展の基盤だと言われている。

ナジブ・ラザク元首相の失政と不正

退任当時78歳だったマハティールは、強い影響力を残しつつも引退したはずだったが、それがなぜ再び政界に返り咲くことになったのか。その理由は2009年に就任したナジブ・ラザク元首相の失政と不正である。

ナジブは外国企業誘致を目的とした「ワン・マレーシア・ディベロップメント・ブルハド(1MDB)」という国有投資会社を設立したが、2014年には巨額債務を抱えていることが発覚、さらに2015年には同ファウンドからナジブの個人口座への不正流用が報じられるに至り、首都クアラルンプールでは大規模な退陣要求デモが起こった。
それらに対しナジブは、テロ防止法の制定や扇動法の改正などで強権体制を敷き、批判勢力となった政治家、弁護士、ジャーナリストの逮捕や、新聞の発禁処分といった強硬な対抗姿勢を示した。また、その一方で1MDB疑惑を追及する閣僚を更迭し、反対派を一掃する内閣改造を行った。

こうしたナジブ政権を批判する勢力の中心にいたのがマハティールであることはいうまでもない。彼は2016年にUMNOを離脱し、新たに「マレーシア統一プリブミ党 (PPBM) 」を結成。野党連合である「希望同盟(PH)」と同党が連携し、マハティールを次期首相として闘ったのが今年5月に行われたマレーシア下院議員選挙である。この選挙でPHが獲得したのは122議席で、BNの79議席を上回ったことから、与野党の逆転すなわち政権交代が起こった。こうして誕生したのが第7次マハティール政権である。


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