皇室への願望投影をやめれば、私たちはもっと幸せになれる
「自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択」。結婚についてこのような表現ができる人は幸せだな、と思うと同時に「大丈夫かな?」と思った。
言うまでもなく、秋篠宮家の内親王眞子さんのことであるが、「大丈夫かな?」というのは、結婚できるのかどうかということではなく「結婚にそんなに過度な思い入れをして、期待が外れたときに必要以上に傷つかないだろうか?」という心配だ。
以下は私の個人的経験とそこからくる眞子内親王結婚問題への見解である。
女性の適齢期と「クリスマスケーキ」
どう見ても不仲な両親の元で育ち、幼心にも「この人たちは何が楽しくて一緒に暮らしているんだろうか」と思っていた。
多少物心がついてきて、あるときからどうやら「離婚」という制度がこの世にあるらしいと知ってからは「なぜうちの両親は離婚しないんだろうか」と思ってきた。
しかし、思春期の頃には、両親の間には何かしらの利害があってそのために結婚を継続しているのだということは、何となく理解できた。利害とは、共有財産であったり、世間体であったり、私という彼らの子どもの扶養権だったりする。
「大人になるのって面倒くさそうだ」と思いつつも、私もすべての修学課程を終え、就職と同時に適齢期を迎えた。
一浪して四年制大学を卒業した私は23歳になっていて、親戚の集まりなどでは「そろそろ結婚を」などと声をかけられたりしたが、人生に必要なことはまだ何もわからなくて、結婚どころではなかった。
しかし、今から30年ほど前は、まだ「クリスマスケーキ」という言葉で女性の適齢期を表現する時代であり、「25(才)を過ぎたら“売れ残り”」と言われた。“売れる/残る(売れない)”という言い方は、女性にとっての結婚が、かつては一種の人身売買でもあったことを意味している。
しかし「妙齢の男女はとりあえずくっつけて子どもでも作らせておけば収まりがいい」という圧力は、当時の日本社会のなかで非常に強く、それに反発するにはしっかりしたキャリアプランなりポリシーが必要だった。
どちらも持っていなかった私は26歳で結婚と出産を経験した。妊娠と結婚の順番が入れ替わった、いわゆる「デキ婚」だったけれど、それでも「結婚の機を逃すよりずっといい」と言われた。
楽しかったシングルマザー生活
明確な定義の元に作成されたチェックリストに当てはめれば、私はDVを受けていたと言える。けれども、短かった結婚生活のなかで見せた元夫の人間性は概して善良だったように思う。
しかし、パートナーの欠点や不都合を上手にコミュニケーションをとりながら、折り合いをつけ、関係性を保つための術を、私も相手も知らなかった。その結果、2年半で別居、3年で離婚。
離婚そのものには後悔はなかったけれど、挫折感のような後味の悪さが無意識のうちに自分の中に残った。その後味の正体がわかったのはごく最近のことだ。
30〜40代の頃は、「再婚しないの?」と聞かれれば「チャンスがあれば」と答えていたし、「いずれは一緒になろう」と思って付き合っていた恋人もいたけれど、生活を変える勇気はなかった。
今思うと、大変だったけれど、シングルマザーというライフスタイルは自分に合っていたのだと思う。息子と二人の生活になって初めて、私は自分のやりたいことを反対されることなく、好きなやり方でできる自由を手にできた気がする。
ようやく結婚願望がなくなったこの一年
けれども、結婚生活に対する挫折感を常に心のどこかで私は持ち続けた。
というのは、多くの人にとってパートナーや家族との関係性の構築こそが人生のテーマであり、それこそがQOL(Quolity of Life)を決定づける、と考えられているからだ。
だから、それらに対して真摯に向き合わない自分が不誠実な生き方をしているようにも思え、50代に入ってからも気持ちのどこかではパートナーを求めていた。
それがほぼなくなったのは、この一年ほどである。特に母とともに父を見送り、どうしようもなく不仲であったこの二人の夫婦としての形を見たときから、私は自分の人生の選択を肯定的に捉えることができるようになったのだ。
それは、人にはそれぞれ自分にしか送ることができない人生があり、そこに良し悪しはないというシンプルな真理である。
問題の多かった両親のパートナーシップも、そこに愛がなければ50年は継続できなかっただろう。
「あんなに喧嘩ばかりしていて仲が悪いのだから離婚すべきだ」とか「お金や世間体のために結婚を続けるべきではない」とか、あるいは「共依存していて精神的に自立できていない」などと思って見ていたが、それを第三者が断じることに意味はない、ということだ。
私は私で、自分の人生にもっと自信を持とうと思った。
配偶者や家族との関係性ではなく、自分自身とその自由に対してエネルギーを注ぎ続けてきたことが不誠実な生き方だなどという内省は、自分のものではなく、単に社会の視線を自分のなかに入れていただけだった。そんな必要など全くないのだ。
長かったが、ここまでが私の言いたいことの前提である。
自分を大切にできて、守れるのは「自分」
翻って考える。
とりあえず、これが皇室の女性から出た言葉だということは度外視して、特定の相手との結婚が「自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択」というのはどういう意味だろうか?
文字どうり解釈すれば、この人と結婚できなければ、自分の心は守れない、自分が大切にされていると感じられない、ということになりそうだ。
しかしそれは、「結婚」に対してあまりに強い思い入れを持ちすぎだという気がするのは私だけだろうか。
結婚してもしてなくても、さまざまなことが起こるのが人生というもので、自分が予想した通りの結果になることなどほとんどありはしない。
自分を守るもの、自分を大切に扱うものが最終的に自分であることを前提としないと、「この人と結婚できれば幸せになれる」という予想が外れたときに被るダメージは想定以上になってしまうだろう。
皇室の方々にも、結婚と離婚の自由がある
また、翻って再び考える。日本国民はなぜこぞってこの結婚に反対するのかと。
それは端的に言えば、やはり「離婚」という選択をできるだけ避けるべきだと多くの人が考えているからではないだろうか。
ましてや、国民の範たる皇室の一員である内親王にはあるまじきことだと、結婚したカップルの4組に一組が選択する時代になっていても、前時代的な結婚観に縛られている人が多くいるということだ。
父である皇嗣殿下は「結婚は両性の合意のみに基づく」と憲法の文言を引用して、旧い家庭観の無効性を指摘した。だからすでに結論は出ているのだ。
眞子内親王と小室氏は結婚すればいいし、そのために一時金等が国庫から供出されることに納得いかない国民は、そのことに対して反対すればいい。署名でも請願でもデモンストレーションでも意思表明の方法はある。
私に言わせれば、森友・加計・桜を見る会などに象徴される安倍政権で濫用され、特定業者や関係者に流れた税金の方がはるかに深刻だと思うけれど、降嫁した内親王が必ずしも「皇室の品位を保つ生活をしなくてはならない」とは思わない。
国民と同様に仕事をして、その収入に応じた生活をすればいいし、実際に上皇の姉妹である昭和天皇の皇女のなかには、生活の苦労をされた方もいらっしゃると聞く。
そして、内親王が海外のロイヤルファミリーのように「離婚」という選択をしたとしても、それは一人の人間として当たり前に自分の幸福を追求した結果であるに過ぎない、と考えれば話はシンプルだ。
「幸せを体現する」ことが役割の人々
70年ほど前に昭和天皇は「現人神」であることをやめて「人間宣言」をされた。だから今、皇室の方々が私たちと同じ人間であることを疑う人は多くない。
にもかかわらず、(私を含め)日本国民の意識の中に、皇室に対する不可解な幻想があって、彼らは特別な人々だと思い込んでいるところがある。
だから民間から嫁いだ女性に対しては、欠点や失敗などがあってはならないと考え、それが認められた場合には、親王妃であろうと、皇太子妃であろうと、皇后であろうと異常なほどのバッシングを浴びせる。今回は降嫁先の男性が対象になっているケースだ。
眞子内親王の「お気持ち」は、未婚の若い女性としての結婚に対する率直な想いが綴られていて、打たれるものもあるけれど、私から見るとややロマンチックすぎるように思われる。
でもそれはもしかしたら、彼女が自分の役割をよく心得ているからなのかもしれない、とも思う。
幼い頃からメディアのカメラの向こうにある国民の視線を常に感じてきた眞子さんは、幸せそうに振る舞うことこそが自分たちの役割であり、国民の願望なのだと、わかっているのではないか。
だから、ことさらに強く熱情的な言葉を綴り、この結婚によって「幸せを体現してみせる」と宣言しているように読めなくもない。「それがあなた方の望みなのでしょう? ならばそうして差し上げます。」と。
けれども、当然のことながら、内親王は私たち国民の一人ひとりにとって「他者」であり、その結婚や家庭生活の状況は直接的には自分個人の幸せとは無関係である。
折に触れてメディアに流される皇室の方々のやんごとなきお姿は、何となく、あくまでも何となく私たちに安心感を与えてくれるけれども、最終的に自分を幸せに導くものとは自分に他ならない。
国際的な調査において、日本人が感じている幸福度は他国の国民に比べて著しく低いという結果があるが、「幸せを体現し、それを見せる」という役割を誰かに負わせ、そこに願望を投影するということを、私たちはもっと意識的に辞めたほうがいい。
そうすることで、日本人が自ら実感できる幸福度は確実に上がるはずだ。
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