倭国大乱とは何だったのか(1)

朝鮮「三国史記新羅本紀」そのままの紀年で、例えば、108年 (5代婆娑尼師今29年)大水で餓死者、周辺を併合・・
115年~116年(6代祇摩尼師今4年、あと略)伽耶と戦争
121年 倭人大挙して新羅に侵攻
123年 倭国と講和
125年 靺鞨大挙して北部に侵入、百済に救援要求
167年 百済が新羅に侵攻、新羅は逆襲
173年 倭女王卑弥呼が新羅に遣使
188~190年 百済と戦争
193年 大飢饉に見舞われた倭人が千数百人新羅に来る
201年 伽耶国が新羅に講和を申し込んできた。

どうだろう?・・この時期の記録を卑弥呼記事(239年卑弥呼、魏に遣使)を手掛かりに(日本書紀同様)60年繰り下げると:
175~176年 伽耶と新羅の戦争
181~183年 倭と新羅の戦争と講和
・・・

233年 卑弥呼が新羅に遣使

となる。まさに魏志倭人伝にいう桓霊の間(147~189年)倭国大乱、倭国乱として『梁書』『太平御覧』の「霊帝光和中」(178~183年)にどんぴしゃだ。前後の記事も(時代は60年切り上げたにせよ)内容は独自の新羅系伝承が金富軾三国史記編纂時には伝わっていたといたとみていい。すなわち倭国大乱とは、新羅(辰韓)や伽耶(弁韓)を含み新羅は183年頃に倭国と和平(このころ倭国側で卑弥呼共立)、さらに続いて新羅は百済(馬韓)や靺鞨(濊)の侵略を受けたが、倭国とは(むしろ民族的文化的に倭人と近く)親しい関係を続けたらしい、と読み取ってもいい。(宿題)

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資料)三国史記1(東洋文庫版、1960年)、世界歴史大系朝鮮史1(山川出版社、2017年)

(つづく)


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