紀の語る外交:三国との関係
欽明末期(570年)から敏達初期(572,3,4年)、高(句)麗使者を相楽館(山背に新設した迎賓館。前記事、漂着高麗人を山背に住まわせたとあるから高句麗ムラがあったのだろう)に滞在させ関係強化を意図したが、紀によればコミュニケーションの問題や既存外交勢力の妨害もあり、いったん紀の記事からは消える。が、聖徳太子の時代(595年推古3年)になっていきなり「高麗僧慧慈渡来、聖徳太子の師となる」というから水面下で相当なやり取りがあったはず。隋の中華統一により高句麗の危機感が高まったこ