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【ウィキペディア】2024/9/13 佐倉市の市民カレッジ(記事編集編)


長めのエントリになるので、先にまとめを。これを踏まえて本文をお読みください。

生涯学習の成果事例として

  • 佐倉市民カレッジは全国的にも珍しい4年制の市民カレッジで、今回記事を作成したのは、情報コースの3年生たちで、平均年齢は70歳超え。

  • 千葉県佐倉市にある国の登録有形文化財「旧平井家住宅」の記事は、ウィキペディア日本語版に存在しなかったが、カレッジ生により今回新規作成された。

  • 6月にウィキペディアに関する講義の授業を受けた後、カレッジ生たちは地元の有形文化財である「旧平井家住宅」の資料を集め、それを百科事典的に文章で説明できるようにまとめ、写真を撮り、準備を行ってきた。

  • 9月の記事作成授業での、約3時間半の編集時間を使って記事をリリース。

  • 結果的に今回作られた記事は、グーグル検索でも上位10位以内に表示されているので、ネット上での知の共有の成果が出ている。

  • カレッジ生にとってウィキペディア編集のスキルが身についた。成果物がいつでもだれでも参照できる形でネット上に残った。情報の取捨選択や、ネットリテラシーについて体験的に学んだ。


佐倉市の市民カレッジは佐倉市の中央公民館で実施されています。

千葉県佐倉市にある公民館。全国的にも珍しいとされる4年制の市民カレッジを開催しており[1](中略)

1978年5月、「佐倉市高齢者短期大学校」として開校[4]。2年間の短期大学卒業後、学ぶ意欲がある卒業生のためにさらに2年間学ぶための「生きがい学園」が1984年に開校[4]。その後40歳以上の市内在住者を対象とする[5]4年制高齢者大学校[2]として、1992年5月にに「市民カレッジ」となる[4]。2024年現在、1,2年時は「であい課程」と名付けられた基礎課程を行い、3,4年時は福祉・歴史・情報・元気の4コース内から選ぶ選考過程となる[5]。市民活動団体を組織し、市内でのボランティア活動を実践する卒業生も多い[6]

https://w.wiki/BGd8  より引用

というもので、私が講師としてお邪魔するのは3年連続となっています。

2022年は講義のみをおこないました。
2023年は、9月に、3学年 情報コースが「情報化社会の学習(1)」にてウィキペディアタウンを行い、妙隆寺 (佐倉市)武家屋敷通り (佐倉市) のふたつの記事を新規で作成していただきました。
11月には4学年 「情報コース(2)情報化時代の学習(2) 」でウィキペディアの講義のみを行いました。その時にウィキペディアの記事例を2つほど挙げて説明し、最後のほうに、実はこのふたつは3年生が9月に新規で創ったものだと説明すると、後日「私たちも記事を作りたかった!」という声がたくさん聞かれたとのことです。

これは勝手な想像なのですが
1.市民カレッジに通う平均年齢70歳超えのカレッジ生たちに、ウィキペディアの話をしても有効な授業となるのか
2.編集するワークショップを入れても対応ができるか
3.新規記事を作成するという成果としてはこれ以上ない授業をカリキュラムに組み込んでも大丈夫だろうか
という手探り感が、過去2年にはあったのではないかと思いますし、私も同様に思っていました。

もちろん学習意欲やパソコンに関するスキルには個人差があります。
ただ、これまでにいろいろな方々を参加者に迎えての編集イベントを経験してきたので、どこまで準備しておけばよいかのノウハウも自然と身についていました。

というのも、ウィキペディアは誰のものでもないので、市民カレッジの授業で、編集者は高齢者だから、変な記事しかできませんでした。というわけにいかないのです。
ある程度記事の体裁が整っており、読者の知の助けになっているレベルまでは達していなければ、「ウィキペディアの編集イベント」自体にも批判が向きかねません。

なので、私はできるだけ、少ないマンパワーでもある程度記事の体裁が整うまで導く必要があると思っています。

今年の授業

6月に前提となる講義の授業を行い、今年のテーマは「佐倉市中央公民館」と「旧平井家住宅」です。去年の3年生に負けない記事を作りましょうと、少し煽りました。
6月に記事を作るからそれまでに資料や写真を準備して下さい、と。

今回の編集会場は、昨年オープンしたての「夢咲くら館(複合施設)」です。

2グループに分かれて、まずは前回のおさらいから。
今回は、司書実習に来ている大学3年の女子2名が見学するとのことで、どうせならばいっしょに編集参加しましょうよと、促しました。

前科の授業を聞いていない実習生二人もいるものの、ダイジェストを少し。

北九州にあった国指定の有形登録文化財の建物が、登録から2年で解体され、更地になったという事例を示しながら、ちゃんと記録しておかないとこういうことが起きて、2度と写真の撮影もできなくなりますよね、と説明。

編集デモンストレーション

Kiroroの『未来へ』を少し流しました。
というのも、この授業の前の週に沖縄に行ったとき、沖縄市立図書館の近くにある書店「タビネコブックス」さんで購入した『オキナワミュージックカンブリア』という本があり、「こういった本からでも、ウィキペディアの執筆や編集ができる」と説明したのです。

金城と玉城は中学3年生の時に同じ塾に通っていた。玉城が歌う曲の中にタイトルがついていない曲があり、歌いだしが「ほぉら~」だったため、金城は玉城に「『ほぉら~』の曲を歌って」と塾の授業そっちのけで歌をねだっていたという。玉城にとっては中学3年生の時に初めて作った曲で、ただの風邪をひいていただけの母親を見て重病だと思い込み、思い出の曲をプレゼントして作ろうと思ったのがきっかけだった[2]

https://w.wiki/BGeL  『未来へ (Kiroroの曲)』より引用

出典付けの練習をこなした後、今日のテーマの記事のひな型を確認してもらい、これらはあくまで例で、書きたいように書いてください。足りない見出し、要らない見出しは、追加・削除できます。構成は後でどうにでもなるので、とにかく文章をたくさん書いて、出典を添えましょう。と促してスタート。

記事ひな形
記事ひな形

成果


自分のではない用意されたパソコンで、数時間でこれだけのものが出来上がりました。私は極力手を加えず。
司書さん二人の心強く力強いサポートで進行が出来ました。
記事は成果物でしかありませんが、資料を集め、精査し、文章を考え、発信するという一連のプロセスを楽しんでいただけたと思います。

実習生のおふたりも最初は戸惑いながらも楽しんでもらえたと思います。

そして大きな成果

少し前のエントリで、「ウィキペディア日本語版の記事評価の話」を書きました。

1日に100以上の新規記事ができるウィキペディアで、ユーザーの推薦と投票によりトップページで紹介される「新しい記事(新着記事)」に選ばれることは、とても大きな名誉です。

先日の企業研修で手掛けた記事も

新着記事に選ばれましたが、こちらは現役バリバリの企業の方々が研修で作成したものです。

記事の題材で、評価されやすい/されにくいというのは確かにあって、今回の場合は施設記事の「佐倉市中央公民館」よりも国の登録有形文化財である「旧平井家住宅」のほうが評価されやすい傾向があると思います。

また、イベントで新規に作られた記事の場合、ある程度ウィキペディアンがあちこち手を加えたり、全面改稿に近い編集をしたり、大幅な加筆をしたりして、新着記事に選ばれるケースがほとんどです。

今回、私も、サポートしてくださったウィキペディア編集の心得のある司書おふたりも、ほとんど手を入れていません。
カレッジ生だけで10,000バイト以上執筆しています。
わたしがやったのは、最初のひな型をアップしたのと、「細部の編集」と呼ばれるメンテっぽいものだけでした。

9/16のウィキペディアトップページより抜粋

年齢のことを強調するのは失礼かもしれません。
相当の準備をし適切に導く。
それも重要ですが、学びたいというという熱意をエンジンとして、何歳になっても学び続け、貢献ができるというのは非常に大きなことだと思います。

私は、今回のカレッジ生により作成された新規記事の新着記事選出は、紛れもない、とんでもないレベルの快挙だと思います。

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