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ウィキペディア日本語版の記事評価の話

この記事はイベントの報告ではなく、ウィキペディア日本語版での記事の評価について記します。

分類

もしかするとこれ以上に分け方があるかもしれませんが、だいたい以下のような種類があります。

  • サブスタブ

  • スタブ

  • 一般の記事

  • 新着記事

  • 強化記事

  • 月間新記事賞

  • 良質な記事

  • 秀逸な記事

  • 珍項目

  • 削除された悪ふざけとナンセンス

今回は主に、記事が生まれてからの動きを、上記の太字の部分について説明します。

新規記事

ウィキペディアに新しい記事ができると、「Wikipedia:新しいページ」にログが表示されます。

ウィキペディア日本語版では1か月に約3000~4000の新規記事ができます。つまり一日に100以上。
生まれてきた記事は読まれ、これはいい記事だなと思ったウィキペディアンは「Wikipedia:メインページ新着投票所」に推薦することができます。

推薦・投票ができるのは、アカウントを作ってから1か月以上経過し、その間に記事編集が5回以上ある編集者です。
一日に5記事くらいが推薦されます。つまり20分の1くらいの狭き門です

「第三者によって推薦される」という評価がされるわけです。

新着記事

推薦されてから丸三日間の間に、リストされているほかの記事よりも得票が多い記事3~5がメインページの「新しい記事」の欄に冒頭部分が紹介されます。

これを「新着記事に選出された」などと言います。

ウィキペディアンはたくさんいますが、いわゆるアクティヴユーザーは5000ほどと言われています。投票資格はおそらく3000人くらいが持っているのではないでしょうか。

推薦された記事のうち、新着記事として紹介されるのは5分の1くらいでしょう。この新着記事投票では、ひとつの記事に10票集まることが珍しいくらいです。
つまり、たまたま選ばれないとか、ほかにもっとすごい記事が集中したなどの不確定要素があり、また、普段投票しないユーザーが大挙すれば(当然不自然に見えますが)数字上はどうにでもなるような規模です。
ただし、熱心に投票しているユーザーの顔触れはあまり変わりません。つまりいずれも優れた推薦者であり、記事に対する評価を長年、たくさんしている人たちです。

新着記事に選ばれることは名誉なことです。生まれたてながら、ウィキペディアの平均的な記事の基準を満たしていると数人が思ったということですから。
ジャンルにもよりますが、トップページで冒頭部分が紹介されることで、延べ1000~1500くらいの人がその日だけで読んでくれます。

新規記事を書く時、まずはここを目標にする人は多いと思います。

ざっくりの計算になりますが、ひとつの記事あたりの選考期間を5日間と考えると、100分の1くらいの確率で選ばれることになります。

月間新記事賞

新着記事として選出された(2024年8月度の場合)約120の記事のなかから、改めて投票が行われます。
新着記事時の投票数と、この月間記事賞投票の合計で競います。
ここから投票数上位5つの記事が月間新記事賞となります。
とても名誉なことです。個人的にはこのレベルの記事であれば、内容は鵜呑みにしても大丈夫ではないかと思っています。
一か月単位で考えれば3000~4000分の5くらいですから、0.1~0.2%くらいです。500本以上書いて、1本選ばれる感じです。選ばれたら威張ってもいいと思います。

Wikipedia:月間新記事賞/受賞記事一覧

良質な記事

月間新記事賞を獲得した記事は、自動的に良質な記事の選考にかけられます。ここでは査読され、意見が付きます。
たまたま私が初版を書いて、その後多くの人たちの手が入って月間新記事賞を取った「アジフライ」の記事の選考はこのようなものでした

同年同月、こちらは私がほとんどの執筆を行った、ニッチなテーマによる記事の選考です。

良質な記事の数は、ウィキペディア日本語版に2024年9月現在143万あるうちの約2100で、全体の0.15%しかありません。選ばれるのはとてもとても名誉なことです。
これらの記事は、ウィキペディアならではのユニークな切り口や主題も含まれ、読み物としてもとても面白いものが多いと思います。

秀逸な記事

良質な記事よりもさらに充実した記事は秀逸な記事となります。
より細かい査読と改善に対する指摘がなされます。
現時点で一番新しい秀逸な記事の選考例をご覧ください。

秀逸な記事の数は、2024年9月現在ちょうど100本。0.007%です。
ちなみに英語版の秀逸な記事の割合は0.1%で実に14.7倍も多い割合です。
個人的には、もっと日本語版でも多くてもいいなと思うのですが、日本人の生真面目さと完璧を求める資質がこの割合の差に表れていると思うのは偏見でしょうか。

もちろん、記事のジャンルによっては選考されやすい/されにくいがありますし、賞を取ってもとれなくても、それほど多くないユーザーによる評価なので気にすることもありません。
ウィキペディアの記事の理想的な形はそれぞれ違いますが、「Wikipedia:完璧な記事」というコラム的な文書では

「完璧な記事など存在しない」と、逆説的に書かれています。
特に、力の入った記事であるという見栄えを気にするあまり、記事テーマそのものに対して、文章量がやたらと多い記事が最近は増えているように思います。「適切な長さで書かれています」という完璧な記事の要素があまり考慮に入れられていない、ということでしょうか。

自分が書いた記事を評価されることは、今後の記事執筆に際してとても参考になることでしょう。
ただ、私たちは何かの名誉が欲しくて記事を書いているわけではありません。
ウィキペディアならではの特色を生かした、全世界の人々の知識になるような記事が求められているのだと思います。

おまけ

エイプリルフールで悪ふざけをしていた時代もありました。

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