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#164 人事制度に宿る経営思想と現実を理解する 24/5/8

みなさん、こんにちは。
今日は、人事制度(等級、報酬、評価の基幹制度)について考えます。

(実例を基に編集しています)
少し前に、ボードメンバーと人事部門で、現在の人事制度に関する考察や、今後の経営戦略を踏まえた改定ポイントをディスカッションする場がありました。

議論が良い意味で拡散的に発展し、企業理念系の、とりわけ従業員に対するボードメンバーの価値観やそれぞれのBeingの話を多分に含んだ意見交換になりました。

その議論を通じて、人事制度に宿る思想・価値観と現実について、わたし自身が感じたこと、考えたことがあり、一般化して整理してみます。

とりわけ評価制度に関する部分を取り上げます。
ここでは、大きな主題は2つです。
「何を評価対象とするか」と、
「その評価を昇格・昇給、賞与の報酬とどう関連づけるか」

まず、何を評価するか、です。
現在は、業績や成果のパフォーマンスと、従業員個人に期待する行動の2つの要素を大きな評価項目しています。

1つ目のパフォーマンスは、およそどの企業でも評価する対象でしょう。最近は聞かれなくなりましたが、成果主義に基づく評価対象です。MBO管理制度と合わせて設計・運用している企業が多いと考えます。

評価する中身は、管理職や営業職はわかりやすい財務指標数値が大半と想像します。一方、業務成果が売上や利益の財務指標に直結しない間接部門や、エンジニア職、サポート・事務職などは、品質に関するKPIや、担当するタスクやプロジェクトにおけるアウトプット・成果物などを評価する場合が多いと考えます。

ですから、パフォーマンスを評価することは、実体が表層的に結果だけをみることになりがちです、そのため、評価制度の意図が形骸化しているケースもあります。そうであっても、仕事とは成果を出すこと、の企業スタンスが反映されている、と考えることができます。これが1つ目です。

次に、従業員個人の行動や専門性などの評価内容です。これは、大別すると職能評価であり、その対象が、能力評価、成長評価、コンピテンシー行動の評価、企業価値観を示したバリュー行動の評価、期待役割評価、情意・意欲評価、年功型評価など、ちょっとずつ形を変容して、解釈の幅を持って用いられています。
しかし、概ね能力(と解釈していること)か、情意(がんばりや意欲の忠誠心)を評価内容としている、とわたしは考えます。

ポジティブに解釈すると、この少しずつ形が異なる部分に、その企業の価値観、思想・信条、スタンスを込めていると言えます。それ自体は、好感を持てますし、評価制度の仕組みとして従業員に開示することを、わたしも推奨します。

問題は、この経営・人事が魂を込めたことが、評価実態、評価運用に反映していないことが多い、です。残念ながら、制度設計思想どおりに運用できている企業や人事は多くはない、がわたしの所感です。

その原因の半分は、人事部門の運用力です。今日はこの話はあまり触れません。もう半分は、評価者たる「人」が、最後は品質担保している仕組みであること、人が担保しなくて良い仕組みにできていないこと、と考えます。

では、それはどういうことか、です。
上記の要素を丸めて職能評価と表現します。たとえば、多くの評価者=管理職は、自分の管掌する従業員メンバーを評価して、給料を上げたいと考えています。

ですから、他者に悪影響を与えたり、お客様や自社に損害を与えるような行動がなければ、給与原資の限り、プラスの評価をしてあげたいインセンティブが働きます。
人の習性がそうさせます。そうなると、情意・意欲評価と呼ばれる、結局「がんばった」ことを評価するインセンティブが強くなります。

また、いろいろなタスクを「やってくれた」「やった」ことの労い、の評価も多い傾向の1つです。お客様と調整した、研修資料を作った、後輩の面談などフォローをした、マニュアルを作った、改善を図った、マクロで自動化したなど、やったことの列挙です。これは実質的に、わたしは労い評価と考えています。

このように、結局は能力や行動と言い、正当な香りを漂わせながら、もっともらしく言うことで、がんばった評価や労い評価になることを自己正当化してしまう構造のもと、人事運用していると考えます。

ですから、経営・人事の価値観を込めた制度とその運用には、相当な乖離があるのが現実の実態には多く見られます。これが、わたしの見解です。

最後に、わたしは人事は運用が9割、が自分の原理原則の1つです。合わせてお読みくださればうれしいです。

みなさんの会社の人事評価制度からは、どんな思想とその運用現実を感じられますか。
それでは、また。

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