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#283 人事施策を定期的にクリーニングする 24/12/25

こんにちは。
今日は、チーム運営における定期的なルーティンを考えます。

(実例を基に編集しています)
今年に入ってから、割と長く運用してきた人事の活動や施策を積極的に見直すことに取り組んでいます。わたしは、かれこれ人事に携わり15年ほどになります。担当範囲は、全社人事と事業部門人事とでちょうど半々くらいです。

自身が問題意識をもって提案した企画を、会社組織のしくみとして時々の経営チームに採用してもらってきました。そうであるがゆえに、自分が主担当を離れて、次の担当の方にバトンをパスした後が否が応にも気になります。それは自分が口を出すことではなく、自分以上にそのしくみをブラッシュアップして、より良い方向に改善してもらっているか、企画立案時の課題背景を忘れずに、あるいはアップデートして、運用されているか、そうした点にアンテナを立てていることが多いと気づきます。

不遜を承知の上で申し上げると、自分が企画立案し、運用してきたとき以上になっている施策は残念ながらほぼほぼありません。その原因を内省的に考えてみます。シンプルなことですが、企画したときの、企画者の問題意識を同じ温度感で継承することが非常に困難であることだと考えます。発展的な結論とは言えませんが、それが根本的な原因と考えます。

では、なぜ継承が相当に難しいのか、もう一段掘り下げてみます。

1つは、企画立案者が、その施策を管掌する組織チームから物理的に離れることです。わたしの場合でいえば、全社人事部門から事業人事部門に担当が変わったため、物理的にチームから離れることになりました。もちろん、その後も定期的に情報共有をしたり、ときに助言を求められたり、と関与はするものの、それは十分な物量とは言えない程度のものです。

要するに、業務オペレーションとしての引継ぎはできるものの、問題意識やそれを解決する方向感(運用の時間軸とそれぞれで想起される仮説課題)の暗黙知が継承しきれないことだと考えます。

後釜を受ける組織チームの構造的な要因も考えられます。それは、そのチームに、その企画や施策をそもそも論として考えられるほどの知見を持つ人が不在であることです。引継ぎとして、担当者とその方の課長くらいには引き継ぐものの、ほかのチームメンバーの方はほとんどの場合その中身を知ることがありません。加えて、知見がないことが多いことが大半です。ですから、その後さらに担当引継ぎが起こると、されにその温度感は劣化することが多くなります。これが構図的な要因と考えます。

逆に、数少ない経験ですが、定期的に改善やブラッシュアップが継続しているものもあります。たとえば、評価制度の運用です。この要因を考えてみますと、まず制度として基盤が確立された性質であることです。先に挙げた施策などは、人事の中では、流行や派手さのあるものです。エンゲージメントほげほげ、傾聴、アンガーマネージメント、○○研修などです。。一方、評価制度は、人事基幹制度と呼ばれるくらい基盤になる位置づけのモノです。

さらに、その制度運用は、事業部門人事こそ、より使いこなすことを求められる施策の1つです。そして、企画立案者が(この場合、わたしです)同じ組織に所属していることです。ですから、主担当として回していなかったとしても、担当の方と物理的にも、心理的にも近しい距離で、暗黙知を共有しながら、その仕組みを運用することができます。

こう考えていくと、企画立案者の暗黙知をいかに形式知に変えていくか、だと考えます。チームの周囲とその暗黙知を共同化し、それを同じ感覚で言語化できる表面化を経て、形式知に昇華していくプロセスです。野中郁次郎さんと竹内弘高さんのSECIモデルです。

このサイクルを回すことにはトライしていかないと、と深く思います。一方、現実的には定期的な時間を経たタイミングで、自分でもその施策や企画の効果を計測し、その役割をある程度果たしたり、あるいはまったく意図しない成り行きの運用になっていたり、を把握します。そして、どちらにしても、その施策をやめる提案をする、企画を畳むことを主導します。

その畳む作業を担うところまでを、企画者の仕事と捉えてもよいのではないか、と考えます。本当は、そのような必要がなく、後任者がその時々で効果測定を行なったり、経営戦略との接続性を検証したりして、ブラッシュアップor畳むを判断することが理想です。

ですが、それが現実的に難しい局面においては、自分で定期クリーニングをして、場合によっては引く判断を提案して、畳むことまで完遂することだと考えます。そう考えると、施策の定期的なクリーニングと、何に基づきその止める判断をくだすのか、設計に組み込んでおけると良いのだと学びます。

それでは、また。

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