久々に即興表現現場に入って思ったこと

2025年のスタートは、由緒あるイベント「舞踏駅伝2025」への出演から。旧知の仲であるさのともさんに誘われ、Racco-1000の片腕でもあるふぅさんも加わって3人でのパフォーマンスとなりました。

コロナ禍に入るまでは積極的に身を投げ入れていた「即興表現シーン」で何度も顔を合わせていた方々との久々の顔合わせも相次ぎ、皆さんの衰え知らずの姿勢の素晴らしさに感嘆しつつ、自分はその場を活かすことを最優先したパフォーマンススタイルを選択、限られた時間の中で最低限やるべきことができたと思います。事前にコンセプトを煮詰めた結果、フルート、鍵盤ハーモニカを持たないという選択も功を奏したかなと。

今回投稿したきっかけは、また別の拠り所によるものです。

実は自分らのパフォーマンスが終了し、イベントが佳境に入らんとした時点で、大半のお客さんが気付いてないと思われる異常事態が発生していました。その事で、改めて作られていたグループLINE(のようなもの)上で議論が行われ、自分も多少それに加担した責任を感じた都合上、明確に見解を表さねばと思った次第です。無論、この場が不特定多数の目に入るのは承知なので、特定の人物名を出すのは避けねばいけないのですが、尖った表現と思われるシーンの内情をもはっきりさせておかねばと思いましたので。

ステージ上では、言葉に重点を置いたパフォーマンスが行われていました。その直前まで、自分も熱心に観賞していたのですが(一部お客さんが帰られた後でもあり、観客席に余裕が多少あったので)、少々疲れを感じたのと、大エンディングで何かが起こる予兆も感じていたので、一旦楽屋となっていた地下ギャラリー階に逃避。そこで和気藹々と、かつステージ上のパフォーマンスに干渉しない程度の小声で(建物の構造上、例えフロアが地下だろうが物音が反響しやすい状態になっているのです)談義が行われている場に交わりました。

そこに1名、当日の出演者の一人で明らかに「出来上がった」状態にある紳士が入り込んできました。明らかに制御しづらい段階にあり、会話のヴォリュームを抑えるように指示しても聞いてくれない状態。そして、当日のパフォーマンスで演奏した楽器を手に取り、パフォーマンスが行われているフロアに上がって行きました。乱入こそしなかったものの、そのパフォーマンス領域に割って入るような楽器の音が響き渡り、終了後主催者側からそれを諭す一声が浴びせられました。その事について、延々とLINE(のようなもの)にて討論が行われ、それを目にしてついつい二度寝不可状態に陥り、こうして文章を打たずにいられなくなったのです。

実は、そのLINEではとても晒せないと思われるレベルの彼の言動を、地下での一幕の中で聞いてしまい、さすがにそれは無いだろうと思いつつ、その事で彼一人が集中砲火を浴びる危険性を考慮して、自分も当日演奏した楽器をいくつか手に持って、観客席に上がって行ったのです。結果的にそれらを演奏する事は避けられ、最後の記念撮影の際に小道具になるにとどまりました。

が、やはり自分は出演者としては初めてであるので、その場のルールを熟知した身ではありません。それどころか、過去関わってきた即興表現シーンで学んだことの一つである、「その場で表現者の輪を増やす」というスタイルを実践する場では無いということも、この事件を通過して改めて認知した次第です。15分という時間制限と、次のパフォーマーに円満に繋ぐというスタイルに捉われたおかげで、なんとか抑制が効いたのではとしか思えませんでした。

コロナ禍以降関わることが多くなってきている、より多くの人にパフォーマンスをする楽しさを知ってもらいたいという活動。それを根付かせるのは難しいことですが、2008年以降この即興表現シーンに関わってきたからこそこのコンセプトは育ったのだし、いつかはそれにふさわしい場を作らねばとも思っています。実際、浅草のアサヒアートスクエア(通称う◯こビル)で行われてきたフリーダム度の高いイベントでは、好奇心旺盛な若人の姿を何度も見ているし、彼らがパフォーマンスの場に楽しそうに交わる例もごく僅かながらありました。今回パフォーマンスしながら客席を眺めてみて、ふとその頃の熱気を思い出したり。普段Racco-1000としてライブを行う時には、滅多に感じたことはありません。

今回パフォーマンスに誘ってくださったさのともさんも、2008年4月に阿佐ヶ谷のネクストサンデーで、プレRacco-1000と呼ぶべきパフォーマンスを行なった時に客席にいて、嬉々としてそこに交わって下さり、それ以来長い付き合いが続いていて、彼女のサポートがなければ自分はここまで来れなかったと思っています。

また、最初に出演したムダイさんは、今回は2歳になる娘さん(次女)を伴ってのパフォーマンスとなり、その娘さんの存在感は決して邪魔になることなく、イベント全体の雰囲気を和らげることにつながりましたが、彼女との馴れ初めも自分の主催イベントのお客さんとしてでした。そのイベントは、ミュージシャンとダンサーがくじ引きで相手を決め、コラボレーションするのがメインでしたが、ゲストバンドとして呼んだTail’zの演奏も、彼女達の希望もあり最後には乱入上等のカオス状態になり、そこでお客さんながらも限界突破した行動でカオスをマキシマム状態に導いたのがムダイさんでした。そのことでイベントがぶち壊しになったとは決して思わず、その後行われた打ち上げでさらに個性爆発した言動を繰り返し、それがきっかけで長い付き合いが始まりました。彼女も積極的に他者を巻き込むことを得意としており、その特性はコロナ前夜に至るまで定期的に開かれていた野外での集まりで特に発揮されていました。パフォーマンス好きの仲間が集まるどころか、その周りにいた第三者までを積極的に巻き込み、それによって険悪な状態に至ったことは、自分がいる場では決して起こり得ませんでした。さすがにお子さんが生まれてからは、パフォーマンスの場以外でそんな破天荒さが露呈することはなくなりましたが、それでよかったのです。

そんな二人の存在も後押しになって、いざ自分もその気にならずにいられなかったのですが、結局はそうならず。自分が場を壊す立場になってしまっちゃ、今後関わることも不可能になりかねません。いや、年齢的に限界だなんて、そんなことはどうでもよくなってしまうのです。まだまだ精進しなければ、と思いました。この場を借りて、偉大なる先輩達に感謝の意を表したいと思います。

この話の続きとなる、自分を研磨してくれた数多の機会に関しては、今後もこのnoteで時期を見て触れて行きたいと思います。何せ、起きがけでないとこれだけの思いを放射する余裕がないので。時間的にも限られてますが…

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