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言葉に出してくれて、ありがとう。

「子どもがポジティブな存在だと、わざわざ声に出して言う文化をつくりたい」

と尊敬する児童精神科医の先生が書いてくださっていたので、そこに便乗して少し前の話を書いてみたいと思う。


今日は私と5歳の息子、3歳の娘と電車で隣の駅へ行った。すると、行きの電車を待っているとき、50−60代の男性の方が

「靴がピカピカだねー!可愛いね〜」


と話しかけてくれ、手を振ってくれたのである。


娘はとっても嬉しくなったらしく、1メートル歩いては振り返り、手を振り返す、ということを繰り返していた。見えなくなるまで、多分5回ぐらいは振り返って笑顔をみせていた。


周りからは、娘とその男性と、二人の間のやり取りに見えただろう。そして喜んでいたのは娘だけに見えたかもしれない。


でも実際には、一番喜んでいたのは、親としての「私」だったな、というのが家に帰ってきて改めて気づいたことだった。



親として電車に乗るとき、「子どもたちが騒がないか心配」「誰かに迷惑かけたらどうしよう」という気持ちが、いつも頭の中にある。

補足すると、私は通常行動する時に”大人1人+子ども2人”という動き方が多いから、というのもあるのだと思う。(たまに1人が騒ぐとヒートアップして、手につけられないときもあるからだ。)



子どもたちの動きや言葉がヒートアップしているとき、気にしていないよ、とオーラを出してくれる、優しい人もいる。

優しいみなさん、本当にありがとうございます。そして知ってます。行動に出せなくっても、マスクの下でも微笑んでくれている人がいることを。



そんな時に、笑顔で子どもたちに話しかけてくれたり、微笑んでくれる方の存在はもう、何にも替えられない存在になる。特に、声にわざわざ出してくれて「可愛いね。」「頑張って待っててすごいね。」「何の本読んでるの?」など話しかけてくれる人には感謝してもしきれない。



大げさではなく、

あなたが親として、ここにいていいんだよ、

私は子どもたちの存在を受け入れているよ、


と代弁してくれているように感じるからだ。


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(娘が、血の繋がりのないマナさんとお揃いになってた日↑笑)

子育て中の親で不安なとき、この一言の温かみは本当に大きい。そして、子どもも、むしろ親も、無視されていない感覚もあるからだと思う。




特に今、外に出た時を想像してもらうと、子どもたちにも今まで以上に「ここには触っちゃだめだよ」等の「○○しないで欲しい」という声かけが多い。


そんなときでも、不安にならないように。

自分も、あえて声を出して。

周りの人も巻き込んで”子どもたちはポジティブな存在”だと伝えられる人になりたいな。

色んなことを感じ、気づけた一日でした。


毎日が尊い。


〜RACでは〜

里親やショートステイ制度を通して

子どもが逃げられる先を作ること、

親が抱え込まないで、頼れる先を作ること

を目指して活動しています。