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泥沼手記帯び運転- 一筋の光

18歳、周りが受験勉強の佳境に差し掛かった時、私は絶望していた。

高2の時中退して以後ずっと引きこもり生活を約2年送った。この間は家族とも関わらず一人、学生という肩書きから抜け出したくてただ時間を潰すだけの生活を送っていた。

今思えばこの頃から勉強やアルバイトをしていればと思うが、過去のことをいっても意味がないのでやめておこう。

私は小学生の頃からなぜか楽しくなかった。

周りに流されてただ時間を過ごすだけだったからだ。
みんなと同じことをして同じように笑い同じように着飾る。

2020年4月私は普通科には進学したくなかったが、世間体を見て私立高校に入学した。

卒業式の時から古写真のような色褪せた世界に私は入った。

敷かれたレールを歩く日々。

しかしこれまでとは全く違う新しい環境。特に通学時間が億劫で仕方なかった。8時からの授業のために私は平日は毎日6時前に起きてスクールバスが来る停留所に向かっていた。

朝の渋滞もあり、通常でも車で30分かかる道のりを2時間かけて通っていた。

私はいつしか「過敏性腸症候群」を発症するようになった。

周りに人がいるだけでお腹が痛くなり、緊張から冷や汗をかくようになっていた。

特に座席に座っている時は地獄だった。

とはいっても幸いコロナ真っ只中。
実質私が学校に行ったのは3ヶ月だけ…

このまま3年間通うのは嫌だったので、不登校になった。

これまで毎日学校に行っていたが、ある日から1日も行かなくなった。

家族の反対を押し切り、ずっとトイレに篭って通学時間が過ぎるのをひたすらに待っていた。

数ヶ月続けることで、やっと家族が折れ、高校を辞める兆しが見えてきた。

翌2021年、私は念願の高校中退した。

そこからは待ちに待った生活がはじまるはずだった。

2021年10月、ここまで順調だった引きこもり生活で私は「1人でいること」に不安を感じるようになった。

大丈夫ではなかった。

次第に間食を食べれなくなり、テレビも見れなくなった。
夜になると汗をかいて、軽いパニック状態になるようになった。

我慢することもできなくなり、このままではいけないと家族に相談した。

家族は私を心配すると共に、心療内科を受診することを進めた。

自分に合った診療医を見つけるまでは大変だった。
この頃、コロナ禍の影響なのか多くの人が精神を病んでおり、なかなか予約が入らなかった。

それから約1ヶ月経って、ようやく落ち着いた雰囲気の病院を見つけた。

抗うつ薬を処方され、一時的な症状は和らいだが、やはり人がいる場所に行くと症状が出た。

私は「日本航空高等学校」をメインで、「トライ式高等学院」をサポート校として入学した。しかし結局、卒業するまで学校に行ったのはほんの数日だけだった笑。

それから時が流れ2023年10月、いわゆる受験期に完全に乗り遅れた。

これまで全く勉強してなかったこともあり、受けた模試では偏差値40台を全教科で取った。

私は理想が高いようで、実力には到底及ばない「神戸大学経営学部」を志願した。

最終的に受験したのは、近畿大学短期大学部と龍谷大学経営学部、松山大学人文学部。

そして1教科受験の近畿大学にも落ちた。
受かったのが松山大学人文学部だけだった。

私は浪人しようか悩んだが、家族の意見を聞き松山大学に入学した。

今思えば笑い話だが、神戸大学経営学部を目指した受験生が、勉強したのは『英語』だけ。

しかも「シス単」「速熟」「英文法書」「読解書」の4冊だけで、英語すら終わりませんでした。

入学後は神戸大学への編入を試みて、すぐTOEICの勉強をはじめました。

直後の4月に受験した時の点数は310点。
編入には860点以上必要でした。

なかなか屈辱的でした。

そして2024年5月まで、(一部現在も)友達とは遊ばない、飲み会も行かない、必要最低限の会話しかしないという泥沼大学生活を歩んできました。

その効果はあって、念願のTOEIC810点取得。
一安心のラインまでは到達しました。

ちなみにTOEIC800点の偏差値は「62.5」だそうで、受験期から20以上も伸びたらしい。

結局編入もやめましたが…
というのも海外に興味を持つようになったからだ。

理由はYouTubeで見た、海外ののんびりした生活の動画。
そこでは皆が違う選択や生き方をしており、一瞬で憧れになりました。

今は、オーストラリアで生活できればと思っています。
次の英語の目標はIELTS7.0以上取ること。

2、3年後達成できれば大成功だと思います。
英語はやればやるほど成績が伸びるので、とても楽しく充実しています。

気付かぬうちに1日2時間以上勉強することもあります。

意外にも大学入学後は行動しており、長期休暇を利用して「奄美大島」にボランティアをしに行ったり、「フィジー」に語学留学に行ったりしました。

今、私は自分の夢を叶えるべく全力で努力をしています。
あの長かった泥沼生活では考えられなかった、希望が見え始めています。

人はいつからでも変われると思います。

私は1度レールを踏み外すつもりが、その後何度も踏み外しました(笑)。
しかし後悔はしていません。

これから先
私だけでなく皆さんにとっていい未来がくることを願っています。


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