純粋な心
子供の頃って何に対しても
良くも悪くもみんな純粋でしたよね
感情100%で喜び、悲しみ、怒る。
もちろん今だって出来る人もいっぱいいると思います
ただ子供って
どんなに小さなことでも喜べたりするんですよね
たとえば親子が信号待ちをしている時に
信号が青になったらその子供が
「あおになった!
やったねー!
うれしいねー!
あおだねー!やったー!✨」
とはしゃぎ
母親が
「そうだねー😊」
というシーンを
聞いたことがあります
“信号が青になるのなんて当たり前じゃん“
この思考が邪魔をしてしまうんですよね。
我が家の場合ではタイミングよく信号が青に変わった時に
「やっぱツイてる~!!✨✨」
と盛り上がったりはするのですが、
やはり喜べるとしたらそのくらいですよね。
ある物事に対して喜ぶには
それプラスαが必要なんです(笑)
いろんな知識が身に付き賢く生きられるようになっていく・・・
これは間違いないのですが
それと同時に素直に喜べなくなっていく様子を考えると、
大人になる事もすべてが良いとも言い切れないな~と感じてしまいます
また子供って
なにか道具一つあれば遊べたり
道具が無くても遊べる遊びを見つけたりと
なにかと”見つける天才”ですよね
よく白線や縁石から落ちたら負けーってやってたのを思い出します(笑)
あ、もちろん車の居ないところでやってましたよ~!😂
ただ、大人になった今
同じように遊べるかというと、なかなか難しいです
まぁ…仮に遊べても世間的な目もあったりしますしね(笑)
こうして自分を抑えていくことで
感情を表に出せないようになっていき
心の内に抱え込む人が増えていると僕は考えています
もちろんそれだけではないですし、
大人だけの話でもないのであくまでも数ある原因の中の1つという考えですが。
自分だけ喜んでいると
妬まれないかを心配する
自分だけ悲しんでいると
悲劇のヒロインやネガティヴだと思われる
特にこの部分は女性の方があるあるだとは思うのですが
その結果『無』が一番安定となってしまうんですよね。
共に喜び合って悲しみ合える仲間をみつけられるとまだまだ気分的にも違うと思うんですが😥
『愚痴』という言葉にあまり良いイメージは持てない方が多いと思いますが
吐き出せずにまいってしまうくらいだったら、吐き出したほうが良い場合もあるかもしれませんね
愚痴りあえる存在とも
本当はその愚痴の対象があるおかげで関係が近くなっている可能性もあるので
もしそこで繋がった友情でお互い心の内を明かして付き合えてるのなら
その対象となった人にも1つ感謝をしてもいいのかもしれません
僕自身学生時代ではよく学校や部活の愚痴など吐いてて
でもその事によって深まった友情もありました。
良い繋がり方かといえば
はいとは素直に言えないですけど
お互いに探りながら表面上の付き合いをするよりも
自分の一番汚い部分を見せても付き合ってくれる仲間を大切にしたいものですよね(笑)
そんな視点で見れば愚痴も完全な悪ではないのかも、と思う時があります
愚痴に終わらず現状を変える努力も時には必要だとは感じますが。
『子供時代』はこの世のみんなが経験していることだからこそ
昔は良かったなと少しでも感じるのならば、
大人という賢い知恵を持った上で子供時代のような純粋さを取り入れることが出来れば最強ですよね♬
実際自分の近くにそのような生き方をしている人は存在しており、誰にも負けないほどのパワフルです
どんなに小さなことでも喜べるようになれば
起こる事すべてに幸せを感じてこの世が天国のように感じるかもしれません(笑)
またどんな感情にせよ
必ずすべて自分の中から出てくるモノなので
無視するのではなくそれぞれとしっかり向き合っていきたいですね♬
それでは今日も最後まで読んでいただきありがとうございました!
また次のブログでお会いしましょう(*>∀<)ノ))★