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価値観について考えてみた

【「価値観」とは】

価値観は2パターンあると言われ、1つは昔から譲れない自分のポリシーみたいなもの。2つ目は経験によって変わっていくもの。

ぱっと浮かびますか??

私自身は、「自由」と「ありのまま」を受け入れてもらいたい感情が

どうやら強そうです。昔から、型にハマる事・大衆が選ぶ選択肢は選ばない「オリジナル」を造り出すことを好んでいたように思います。

周りの女の子が「キティちゃん」が大好きと言うならば、私は「ケロッピー」を選ぶと言ったこだわり。自分が本当にそのキャラクターが好きかと言うより、選ばれなかった方の良さを改めて探したり、人と違う「特別感」が欲しかった様に思える。

と、言った調子で個人によって「価値観」はいくつもキーワードを持ち、優先順位も人それぞれ。そして幼少期などを振り返ると、今にも繋がる共通な思考に「価値観」が見えてきたりする。

【その軸ブレてるの?変わってきてるの?】

時には自分の考えが変わってしまうのも、人によっては「ブレてる」と思われ、一方では「様々な経験をしたからこその成長の変化」ともなる。

その線引きって正直難しい。そしてその線に正解も間違いもない。

結論はどうだったか、なってみないと分からない。ならば、今すぐ答えを出さなくていいし、今スグ選ばなければならない状況なら「わくわくする方」といった自分の正直な心の声を選択の1つとしてもいいと思う。

ただ、その後、後悔してしまうときは「自分で選ばなかったとき」だと思う。誰かに選んでもらい、結果的に「あの人のせいだ」と決めつけた方が、自分はラクにはなるが対策は考えなくていいことで、失敗を活かせない。成長しない。あくまでも、第三者の声は自分の選択肢を選ぶ1つの参考であって、最終ジャッジは「わたし」でありたい。

なので、考えが変わった時に「あー自分ブレブレだ」と落ち込むか、

「これも一つ成長の変化だ」と活かすか、最終判断するのも「わたし」でいいのかもれしれない。

【価値観のエゴ】

一方で、第三者や親しい人から「あなたに○○は向いていない」「○○には使えない人材だ」のように否定的な言葉を言われたこと、または言ってしまった経験はないだろうか。

対外、その言葉の前後には「あなたの為にキツく言うけど」「あなたのことを思って」などの付属品まがいの言葉を付け加えられることが多いと思われる。しかし、いつも思う。それは本当に相手の為であろうか。

伝えた側の「エゴ」や「価値観の押し売り」になってないだろうか。

未来のことは誰もが分からない。1秒先の未来も分からないのに、ましてや占い師でもない。なのになぜ断言的に「○○じゃない」と決められるのだろうか。その一言で、相手の安全圏が増えるか、可能性をつぶしてしまう。どちらになるかも分からない。そして、その一言を伝えるべきタイミングは、相手のメンタル状況などを踏まえて「今」だったのか。

アドバイスと否定は違うと私は思う。こうやって「絶対○○」と人格を否定することは、特にそう思う。敏感な私たちにはより一層きつく感じやすい。

そんな時のショックは、自分の価値観に従って・・・などと考える余裕がなくなる。

精神論で言えば、「その言葉に耐えて」「乗り越えて」と言われるが、、、

無理して乗り越えなくていいと思う。よくよく考えると、その言葉を言った人の言葉も「100%の確率で当たるのか」と思うと、そんな人は居ない。

自分の居心地の良さに進んだっていい。

きっと、「あー、あの時言われたことは、このことか」と本気で乗り越えなければならない時は来るかもしれない。でも、その時は乗り越えなければならないとき=乗り越えるべき理由が自身に明確な時でしか、越えられない壁だとしたら、、、今は少し遠回りするのも1つなんじゃないかなと。

【自分の身は自分で守る】

長々と書いてきたが、最後に言いたいこと。

一番やってはいけいのは、自虐。自分で自分を「言葉の暴力」でムチを打ちつづけてしまうこと。

自分の身は自分で守る。それはココロも一緒

まあいっかと思える。そんな自分を時にはかわいがってあげたい。

そして「価値観」を大事に育ててあげたい。守ってあげたい。

そんな自分の価値を認めてあげてこそ、相手の価値を守る余裕が生まれる。

「芯」は強さを追及するのではなく、しなやかさも掛け合わせてもつことが「芯をもった人」なんじゃないかな。私はそうでありたい。

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