「それってエビデンスあるの?」とマウント取ってくる人はエビデンス をわかっていないと言い切れるわけ。
今回も #10minutes_Writing でいこうと思いましたが、私の過去ブログに私が今一番に言いたいことが書いてあったのでコピペと修正・追記で書かさせていただきます。ということでよろしくお願いします。
「それってエビデンスあるの?」って言ってる人はエビデンスの事を理解していない。
なぜエビデンスが大事なのか、どう使うべきなのか、
私はこの考え方が非常に大事だと思っています。
しかし、EBM、EBPTという言葉だけが先走り、正確に理解されていないがために起こる、
「それってエビデンスあるの?」という、マウンテンゴリラセラピストが散見される事を、非常に残念に思います。
何故なら以下の2点を理解していれば、そのような考えにならないと思うからです。
1、エビデンスとは統計的な手法を用いている。
臨床試験での一番信頼がおけるデザインはランダム化比較化試験(RCT)であり、統計的手法を用いています。統計での問題であり、そこには必ず漏れる方がいます。エビデンスがあるからと言って全ての方に効くわけではありません。エビデンスがある。そこから更に考え抜いてから、治療に用いる事がEBMになるので、エビデンスあるの?は浅はかです。
2、エビデンスが無いものは全て効果がないのか。
あくまでもエビデンスとは臨床実験がされてから公表されます。そもそも対象データ(疾患数や終末医療)が少なかったりすれば、研究自体が少なく、信頼できるデータは集まりません。エビデンスが無いからといって治療はしないのか。ではなく、それ以外にも解剖学に基づくサイエンスと経験則を臨床で使う事は不正解だとは言い切れません。その方法がこれからの大きなデータになる可能性もあり、一般化されることも将来ありうるからです。言うなれば、エビデンスとは過去のデータの蓄積であり、そこから未来を作るのは各臨床家の役割でもあるからです。
だからそんなマウンテンゴリラには言ってやりましょう。
「エビデンスがあれば良いのですか?」と。
EBPTとは?
エビデンスがあれば良いのかと言えばそういうわけではありませんが、やはりしっかりと効果のあるものを提供すべきです。
理学療法の場合はEBPTとなるわけですが、
では、そのEBPTをどうやって進めれば良いのでしょうか。
日本理学療法士学会のホームページに載っていますので確認してみてください↓
http://jspt.japanpt.or.jp/ebpt/ebpt_basic/ebpt03.html
NBM(Narrative-Based Medicene)
あと、対立関係に捉えられている方もいらっしゃるかもしれませんが、NBM(Narrative-Based Medicene)の反対語では決してありません。
NBMとは「物語りと対話に基づく医療」と訳されます。
患者が語る「物語」から,病気だけではなく、患者個人の背景や人間関係を理解し、患者の抱える問題を全人的(身体的、精神・心理的、社会的)にアプローチしていこうとする考え方となっています。EBMの後に提唱された考え方です。
『EBMでは全ての人は当てはまらない!もっと個人を診ようよ!』という雰囲気で思われがちですが、そもそもEBMは患者主体であり、個人を診ています。
NBMの位置付けとしてはEBMを補完するものとしています。
その方の背景を重視する事が、エビデンスを軽視する事には繋がりませんし、対立する構図にはなりません。
どちらも重視し、そして個人として患者を診ていく事が大切なのです。
そもそもエビデンスがあるものがそのまま全て当てはまるわけがありませんし、目の前の患者にエビデンス を使うためには、背景にある因子を読み解き、しっかりと個人として診ないといけません。でないと、使えるわけがありません。
エビデンスとの付き合い方
エビデンスに対する批判や誤解は多くあると思います。何事もそうですが、理解しうまく付き合っていく事が大切です。今後、エビデンスと関わる中で起こりうる問題と解決策を記載します。
エビデンスによって特定の手技を批判すべきでは無い!と言われたら。
批判には2種類ある
①科学的根拠に基づいた合理的かつ健全な批判
②根拠のない、感情的批判
これらは区別されるべきであり、
①は学問の進歩において欠かす事のできない批判であり、真摯に受け止めなければいけない。
②は嫌な気持ちしか生まれないのでやめましょう。
エビデンスは統計的多数者を重視し、少数者を切り捨ててる!と言われたら。
科学が統計に頼るのは、人間や社会の減少に不可避の誤差や偶然はランダムな性格を有しており、それに対処するには確率を用いるのが最善の方法だからである。たまたま―日常に潜む「偶然」を科学するより
効果のある人もいれば、効果の無い人もいるし、同じ人でもタイミングによっては効果の無い時もある。仮に80%の人が効くからといって、20%の人が効かないから20%の人を切り捨てるという意味ではなくて、それは80%の人にしか効果が無いとしか言いようがない。100%効くというと嘘になる。
ただ、治療の選択肢として確率の高いものを選ぶのは、合理的であり倫理的である。効果が出なければ次の手法を用いれば良いだけの話だからです。
エビデンスは大事だけどエビデンスが全てでは無い!と言われたら。
その通りです。EBMは目の前の患者に対して最良の方法を考え出す手法であり、その根拠にエビデンスを使用するだけで、エビデンスが全てだと言っていませんよ。
最後に
ワンピースの名言 で最も私が好きなのは
・・・・何かと言えば「命」「生け贄」「血」
・・・・それで神が喜ぶのか
この儀式は我々に対する侮辱だ!!!
過去の偉人達の功績を無下する様なこの儀式を私は許さん!!! 人々の幸せを望み...海へ乗り出した探検家や研究者達へのこれは侮辱だ!!!! 人の命を望むとされるお前達の神にとっても!!これは侮りではないのか!!! byモンブラン·ノーランド
です。
これは流行り病に対して、生贄の儀式を行う事に対しての怒りです。
医療とは日進月歩であり今日の常識は明日の非常識になり得ます。
人生を扱う仕事でもあるリハビリ職は日々精進し、最良の方法を提供しなければなりません。
自分の目の前の現象しか信じない場合、それは生贄の儀式を行っているに過ぎないかもしれないのです。
視野を広げ、多くを学び、知恵や技術を科学的根拠に基づいて提供していかないといけないと思います。
エビデンスは大事ですが、全てではありません。目の前の患者の問題を解決する最善策を提示することが大事なのです。その根拠の基が時には経験則のみでも最善策であれば、その方法を行うべきだと思います。
最後に
「それってエビデンスあるの?」って聞いて「ありません」って答えられたらそこで終わります。
代わりに、「それをやろうと思ったのは何で?教えて!」と興味津々そうな顔で聞けば「過去に同じような方がいたので行いました。あの時はここがこういう構造だから問題はここかなって思ってやってみました」こんな答えが返ってくる可能性が高まりますので、知識が増えますね。
以上です。ありがとうございました。