ジョセフ・ヒース『啓蒙思想2.0』要約
現代は反知性主義が席巻しています。これにつき、政治ドキュメンタリーと政治評論、エッセーが数多く出版されています。また、人間の不合理性に関する、認知科学と行動経済学のポピュラー・サイエンスも数多く出版されています。
これらを概括し、現代の啓蒙思想を謳い、合理主義を称揚したところで、スティーブン・ピンカーのような大衆蔑視に留まるように思えます。
しかし、ヒース『啓蒙思想2.0』は、知能に関する再定義を行い、また、その知能の政治における必要性を説き、かなり実践的です。
一方で、『啓蒙思想2.0』はエッセーの文体で、論旨が多岐に渡り、余談も多いです。ですので、論旨を整理した上で要約しました。
関連:「コスマ・シャリジ「二重過程理論は『啓蒙思想2.0』に不要である:ジョセフ・ヒース『啓蒙思想2.0』書評」」
○現代の反知性主義
・2010年10月、ナショナル・モールでフランス革命以来の「理性」が政治的動員のテーマとなった集会、ジョン・ステュアートの「正気をとり戻す」集会が開かれた。(p.4)
・1792年、フランス革命がもっとも急進的だったとき、カトリックは違法化され、ノートルダム大聖堂は「理性と哲学」の殿堂に改装された。(p.71)
・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか』は人間の道徳基盤を6つに分け、保守がその全てを重んじるのに対し、リベラルは3つ以下しか判断しないと指摘する。しかし、現代の技術の発展した、大規模な近代国家では、「忠誠」はナショナリズム、「服従」は全体主義、「純粋」はホロコーストの原因だ。
…マナン『自由主義の政治思想』が指摘するとおり、古代ギリシャ・ローマの政治史は政治哲学を用いずとも叙述できる。しかし、現代の市場・民主主義・人権からなる社会では不可能だ。(p.14)
・納税の意味は直感的には提示できない。ティーパーティー運動のスローガンは政治に直結していたが、オキュパイ運動が求める変革は、より複雑で、賛否が分かれ、スローガンの枠を越えられないものだった。(p.20)
・2006年、カナダ保守党は連邦付加価値税削減を公約とし、実施した。当時の首相首席補佐官イアン・フロディによれば、これは一番目立つ税だからだった。
・オバマの最初の一般教書演説に対し、ルイジアナ州知事ボビー・ジンタルは「火山監視」をあげつらったが、これは公共支出で一番滑稽そうだからだった。翌年、アイスランドでエイヤフィヤトラヨークトル火山が噴火した。(p.283)
・2011年、カナダ保守党の安定多数における公共部門のレイオフで、カナダ統計局は人員超過もないのに最大の削減をされた(科学研究施設も予算削減された)。現実について知ることがなくなるほど、保守の「常識」的イデオロギーは是正されなくなる。(p.286)
・ブッシュは民主党の対立候補のケリーより高い成績でイェール大学を卒業した。アメリカ初の「MBA取得大統領」だった。それにもかかわらず、リベラルはブッシュを愚かだと信じたがった。(Jacoby『The American Unreason』)(『ROOM287』)(p.159)
・アメリカではIQは年平均3pt上昇している。(p.240)
○啓蒙思想2.0
・マリエリー『不合理だからうまくいく』、グラッドウェル『第1感』、ムロディナウ『しらずしらず』
・「論理的思考力」…「AはBを見て、BはCを見ている。Aは結婚している。Cはしていない。結婚しているひとは、していないひとを見ているか?」:直感では答えられない。
・合理的思考の特徴:
1.明示的な言語表現
2.脱文脈化(直感的思考は事実に頼る)
3.ワーキングメモリの使用
4.仮説に基づく推論(排反することを同時に考える(直感的思考は事実に頼る))…コンティンジェンシー・プラン(不測事態)、戦略的思考(相手の行動を予想)、様相推論(例外)
5.難しく時間を要する(p.38)
・理性は線形な直列処理システムだが、直感は自己完結的なモジュール式のシステムだ。…顔認識プログラムの視覚情報処理は複雑。相貌失認は独立的。(Sigman, Dehans『Brain Mechanisms of Serial and Parallel Processing during Dual-Task Performance』)
…直列処理は認知的負荷がかかる。
…二重過程理論は単純すぎ、多くは反復で習性になる。(p.42)
・無意識の思考様式は理解しがたい。クラーク『現れる存在』によれば、「内なる火星人」。デネット『解明される意識』のとおり、コンピューターの機能のほうが理解しやすい。AI開発の楽天的な未来予想はこれに即している。(p.46)
・合理性は進化の産物ではない。ホモ・サピエンスが他のヒト属から分枝したのは25万年前だ。
・子供は生得的に数を扱う2つのモジュールを備えている。
1.即時の把握システム(3個まで)
2.大きな数の集まりを推量する(そして1に)
…チンパンジー、ヒヒも同じ。(Heuser, Elizabeth『Evolutionary and Developmental Faundations of Human Knowledge』)
…つまり、「他の数学すべて」のためのモジュールがある。解析幾何や線形代数への適応で、これが進化したはずがない。(p.58)
……「並列型のハードウェアに非効率的に実装された直列型の仮想マシン」(『解明される意識』)(p.62)
…この適応とは言語だ(ハッキング『言語はなぜ哲学の問題になるのか』)。…言語、数学、再帰性の関連はペアノの公理で明らかだ。
・進化で言う外適応。デネットの言うクルージ。マーカス『脳はあり合わせの材料から生まれた』。(p.73)
・直感的判断は並列処理システムのマルチタスクだが、合理的思考は1度に1つのことしかできない。
…マルチタスクを行っていると主張するひとは、実際には注意を順に移しているだけだ。しかも、マルチタスクが得意だと思っているひとは、集中が苦手で、すべての達成度が低い。(チャプリス『錯覚の科学』)(p.86)
・協力的な行動ができる種族集団の大きさは、チンパンジーで100程度。(Boyd, Richerson『The Evolution of Reoiprocity in Sizable Group』)
・ヘンリー・タジフェルのグループ分けの実験。グループ分けは、グループ間では反社交的に、グループ内では向社交的に、ソーシャルな連帯を高めるようになる。
…非協力的な行動は象徴的(シンボリック)な活動に限定し、現実世界では重要性を持たないようにする。
……「第1次集団」の上に「想像の共同体」の共同幻想を何層にも加える。(p.111)
・シュミット『政治的なものの概念』
・知能テストと合理性は関係ない。そうしたテストの課題の多くは直感的思考のスキルに関するものだ。
…「十分な知能があるにもかかわらず合理的な行動ができない状態」=「合理性障害(ディスラショナリア)」
…認知的バイアスに関する脳の下位システムは知能と関係ない。(スタノヴィッチ『心は遺伝子の論理で決まるのか』、『Rationality and the Reflective Mind』)(p.158)
・男女は認知(視覚化、標的化、一部の記憶、等)には性差があるが、論理的思考にはない。(Macoby, Jacklin『The Psycology of Sex Defferences』)(Feingold『Sex Differences in Intellectual Abilities』)(p.259)
・ホッブスの「孤独で貧しく、つらく残忍で短い」という自然状態には誤りが1つだけある。「孤独」だ。自然状態の人間は部族的=「血と名誉」だ。
…だから、都市のギャングとの戦いは困難だ。彼らはギャング団に尽くす。(p.168)
…人間は「利他的な懲罰」を行う唯一の霊長類だ。(Fehr, Gachter『Altrustic Punishment in Humans』)
・協力的相互作用に参加する人数が増えるに従い、その維持可能性は幾何級数的に減る。(Henrich『Why Humans Cooperate』)
…匿名性による非難の応酬による麻痺状態に陥る。その解決法が人工的な市場と国家だ。刑事裁判は国対被告人だ。(シーブライト『殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?』)(p.170)
・1980年代、アメリカの投獄率は10万人当たり200人で、他の先進国の2倍。現在は750人(成人100人当たり1人)だ。
…刑事司法は市民と専門家の乖離が生じやすい。150年前のたかだか公開処刑に困惑するのは誤りで、人類は出現以来、暴力的な罰、拷問、死を与えてきた。いまだに刑務所内レイプや復讐殺人の賛美ははびこっている。(p.287)
・革新的改革=不確実性の管理、長期計画の実行、大規模な集合行為問題の解決は理性にしかできない。(p.180)
・ホルクハイマー「客観的理性」、アドルノ「ミメーシス的理性」、マルクーゼ「テクノロジー以後の合理性」(『一元的人間』)、オークショット「伝統的合理性」「技術的合理性」(『政治における合理主義』)。(p.253)
・「フリブル先生のマジックスクール・バス」シリーズがマジックスクール・バスを必要とするのは偶然ではない。登場する児童たちはなぜか3Rsの能力を装備しているが、学習がなければ読み書きもできず、かけ算表も知らない。(p.264)
・"教育の大部分は制御的処理方式を発達させる試みだ。つまり、基本的演算バイアスを抑えて、学習されたルール体系を切り離した(デカップルド)表象で作動できるようにする。"(スタノヴィッチ『Who Is Rational?』)
・「認知の流暢性」…直感的反応が素早く難なく起これば、正しいと見なす。(Thompson, et al『Instuition, Reaction, and Metacognition』)
…読みにくい字体でプリントしたほうが誤答率は下がる。(Alter, et al『Overcoming Instuition』)(p.264)
○政策提言
・政策を効果的に訴えるために、進歩派がフレーミングすべきなのは「共感」だ。(Lakoff『The Political Mind』)
…共感は子供、家族、友人、他人の順に働く。援助団体は同一化できる個人の写真を使わなければ使わなければならないし、それは成人男性であっては、または国、政治、宗教、民族を表す特徴を持っていてはならない。(Calhoum『A World of Emergencies』)(p.319)
・右派のデマゴーグには左派のデマゴーグではなく、コメディアンで応じなければならない。理性は非理性に勝てないのみならず、勝っても意味がない。そのため、啓蒙時代は諷刺が活躍した。その代表がヴォルテールだ。
…ジャニーン・カラファロー、アル・フランケン、ジョン・ステュアート、スティーヴン・コルベアに任せろ。ステュアートは政策を尋ねられても「私は一介のコメディアン」としか言わない。(p.344)
○人間の本性としての不合理性
・ファート『ウンコな議論』
(小論文なので、全文を要約しておきます。…
「うそ」:発話の真理値より、話者が偽を真と偽る意図で定義される。発話そのものは真ですらありうる。
「ごまかし」:話者の意図について偽ることで定義される。よって、偽ではありえない。話者の意図はつねに不明だからだ。
「へりくつ(ウンコな議論:bullshit)」:発話の真理値への関心の欠如で定義される。
へりくつは真実そのものの重要性を低下させる。うそよりも大きな真実の敵だ。現代は 1. 民主主義社会における情報の増大 2. 客観主義の否定 でへりくつが増加している。真理値の判定の困難さにより、「正しさ」より「誠実さ」が重視される。だが、個人が真理条件を免除されるわけではない。「誠実さ」こそへりくつなのだ)
・「感情予測」の失敗(Wilson, et al『Affective Forecasting』)
…都心の小さい家と郊外の広い家では、ひとは空間環境にはかなり早く適応するため、後者を選ぶと後悔する。(Frank『Luxury Fever』)(p.144)
・19世紀の広告は極端に論証的で、ほとんどを文章が占める。1920-30年代に画像が導入される。1940年代にイメージが主流になる。終戦直後は「USP(その商品独自の強み)」の黄金時代だ。現在、合理性は完全に無視され、スターバックスは商標から社名を消し、ケンタッキーはKFCというイニシャルに社名を変えた。1950年代以降、世代毎に、ヴァンス・パッカード、ナオミ・クライン、マーティン・リンストロームという広告批判が出たが、千年一日だ。なぜなら、それは本能に関するものだからだ。(p.230)
・1970年、カナダ首相ピエール・エリオット・トルドーはケベック分離主義に対し、カナダ連邦主義を訴えた。「情熱に優先する理性」をモットーとした。しかし、分離主義が過激化すると、カナダのナショナル・アイデンティティを創出した。国歌、国旗の義務化、国定休日、カナダ憲法・カナダ憲章。こうして、2010年のヴァンクーヴァー・オリンピックでは、バルーンのビーバー、ホッケープレイヤー、ヘラジカの角の帽子、踊る木樵に猟師、騎馬警察隊が行進した。(トルドー『連邦主義の思想と構造』)(p.304)
・ガードナー『リスクにあなたは騙される』…9.11はまぐれ当たりだった。「終末思想」系のカルト、オウム真理教は実験施設、資金、科学者、時間を備えていたが、できた最大の被害規模は死者13人の神経ガス攻撃だった。(p.335)
・理論上、インフレには意味がない。しかし、多くの中央銀行はインフレ率2%をターゲットにしている。「損失回避」のため、賃金の下方硬直性が存在するからだ。2010年のギリシャ危機は、ギリシャがユーロに加盟していて、通貨切下げを実施できなかったために起きた。(p.351)
・2012年5月、ニューヨーク市長マイケル・ブルームバーグは16オンス(470ml)以上のボトル・カップ入りの砂糖入り飲料の販売を禁止した。当時、一部のファストフードのドリンク類の最小サイズは20オンスだった。アメリカ人の1/3が肥満、2/3が過体重だ。アメリカ人は世界平均の2倍、年平均216Lのソーダ飲料を消費する。
・ニューヨークはすべての飲食店にカロリー表示を義務付けたが、消費者行動には影響しなかった。カロリー表示より、不健康度による青、黃、赤のシールのほうが有効だ。(『NewYork's Calorie Counting』)(Lery, et al『Food Choices of Minority and Low-Income Employees』)
・ワンシンク『そのひと口がブタのもと』…人間の食事量は、容器の大きさ、食べやすさ、アクセスしやすさで操作される。
・モス『フードトラップ』(p.363)
・人間は本来的には人種差別主義者ではない。色違いのTシャツを着せると、性差は残るが、人種は無効化される。アメリカの真の問題は人種差別でなく、人種意識だ。これほど人種について絶えず考えている民族は他にない。(Kurzhan, et al『Can Race Be Erased?』)(p.383)