分娩室は男が立ち入れない戦場
【子育て日記part6】
私達は横浜市六角橋にある原産婦人科クリニックさんで長女出産に立ち会いました。当時は普通分娩をされていましたが、今は院長が高齢の為、分娩はやってないそうです。原クリニックさんの歴史からすると、私達の子どもが生まれる2014年組がラストジェネレーションみたいです。
対応も素晴らしく、地域に根差した婦人科医療は評判が良かった通りでした。そんな妊娠10カ月目の
それは突然やってきます
奥さんのお腹の出具合に、チワワ達もビビるほど日に日に巨大化に。この頃から、お腹の赤ちゃんが蹴ったりグーパンしたりすると「メコッ」と浮き上がってきてましたね。映画のエイリアンが好きですが、あの脚本を考えた人はこれか?と納得する感じです。
ローソンで次の日桜木町でのペット博チケットを購入しようと立ち寄ったら、血相を変えて車にお嫁さんが戻ってきまして
『ヤバイ・・・痛くなってきた・・・』
(マジか?!)どうやらマジらしく、とりあえず車内に振動が伝わらないようにゆっくりと走行することを心がけ帰宅することに。
感覚はまだ30分に一度程度。
『とりあえずこれから力まなきゃいけないから、力を蓄える為にご飯食べてこ!』『とりあえず産後動けないらしいからシャワー浴びてく!?』『とりあえず何か服とか準備してく?!』
「とりあえず」という言葉を連呼した。いや、どうすれば良いのかやや挙動不審になりながら嫁に確認するのである。
お嫁『もー全部準備してっから・・・』
我に返った。が、どーすることもできない為、、、寝る事にしました。
寝てればその内陣痛来るっしょ的な。お嫁さんは何かしらイソイソと準備。
夜中に産婦人科へ
戦慄が走る産婦人科待合室。
部屋にご案内され、看護婦さんから
『はーい、卵膜切っちゃうから、旦那さんは向こうの部屋に移動してくださーい』
明るく登場?
(?!切るってどこを切るんすか?まだ破水もしてないけど??)
どーやら前期破水が無い為、強制的に破水させるとのこと。。。看護婦さんがもってきた↓②
怖い、怖すぎる。(そんな長いのどーするんですか!!シザーハンズやないすかそれぇ!!!)何だかデカい。記憶は定かでは無いが、たぶん写真のクーパーよりもっと大きかったと思う。
『痛ぁぁぁあああい!!!!!!!!』
聞こえてきたのは2Fに木霊するお嫁さんの叫び声・・・スクリームの一場面を思い出しましたが・・・
ベットにはビニール?シートが赤く染まっておりました。
もはや旦那は身震いするばかりで、ただただ別室で待たされるだけでございます。まだ子宮口が10センチに達していないらしく、奥様は波がある陣痛に悶え、旦那はその声を聞き悶え・・・
朝11時くらいに分娩室に行きましょうとなりました。奥様は一歩踏み出すにも本当に辛そうで、看護婦さんと肩を並べて歩くのをただ後ろから眺めているだけです。
分娩室に入ると、例の形をした分娩台があり、お嫁さんが苦しそうに乗されていました。着替えてみてはいいものの、手を握ろうとしても握るどころじゃない
「こういう時は背中をさすれ!!」なんてありましたが、触って欲しくないらしくただ隣にいるだけ・・・
分娩室で馬乗りになる婦長さん
中々頭が出ないらしく、看護婦さんが嫁に馬乗りになりお腹を押し付けることに。(えっ、お腹めっちゃ押してますけど!!?そんな単純なの?押せばポンって出るものなの?)
それでも出ないから今度は吸引することに。
もはや戦場です。
慌ただしく?(看護婦さん達からすればいつもの仕事なのか?)なり、またまたシザーハンズの登場です。
シャキンッ
『痛ぁぁぁぁあああああああああい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
今度は産道を広げる為アソコを切られて?
もしも自分が同じ場所切られてって考えると(ヤバイ・・・足がすくむ)
ほどなく『頭が出てきたよー』シュボボボボボボボ←吸引する音
婦長さんはずっと馬乗り
『お母さん頑張って!あと少しー』シュボボボボボボボボボボッボボボッボボボ←吸引する音
吸われて出てこられました。
3244gの元気な赤ちゃん♀
血だらけでしたが、安堵するも後は映画の様なシーンが続き父感動です。 皮膚がフヤフヤしているが、しっかり動いています。早速おっぱいを探す仕草もあり
「あぁ本当に親になったんだなっ」
と実感が込み上げてくるのでした。
声掛けは忘れずに!!
※産婦人科のどっかの本?で見た記憶ですが、産後の声をかける注意点!があるのをご存知ですか?
お嫁さんに一声目をかけるか、子供に目が行き過ぎてお嫁さんを放置?状態になっていないかという議論でした。私は一人目は大丈夫なはず?でしたが二人目の場合は奥さんに第一声目を忘れていました。。。
何が問題か?
何故か奥さんはずーっと覚えているんですよ。あん時私大変だったのに、うちの旦那はこんな○○行動してたのよ!!なんてママトークが何年後かに繰り広げられる確率が高くなるんですね。※一時期旦那デスノートサイトが流行ってましたね。
お嫁さんは頑張ったせいか力が出ず立ち上がることもままなりません。が、すぐに縫合?に入り、これまた痛そうでした。というか見ているこっちが下腹部辺りがキュッと締まります。
三三五分、部屋に戻りすぐさま看護婦さんが
『お母さんよく頑張ったね~疲れたでしょ~しっかりご飯食べて栄養付けなきゃねー』
産後直ぐにでご飯!!
粋みと疲れで箸を持つのもままならないのに、メニューは焼き魚!!!手が震えているのに、骨を取り除く動作って難しくないか??もうちょっと優しいメニューでも良いのでは??
本当に大変そうなのが出産です。男には真似できませんし神秘的なものだと痛快しました。
他のご家庭でのご出産の場合
~ ここからは、小泉家(会社スタッフ)さんのお話でもあります。こんなパターンもあるんだなと思って頂ければ少し為になるかも。~
引っ越しが終わってまだ三日経ったか位で「お印が出たかも」と言いだし、病院に連絡したら即入院でした。
翌日から落ち着かなかったですねー。勤務中、時間が空く度に携帯電話チェックしては『いつ病院から呼び出されるのか?』そわそわしていました。寝る際も携帯が鳴るかも!でなかなか寝付けず。
二日後の深夜二時でした。病院から連絡受け、駆けつけました。
入院先のベッドには、今まで見たことない具合の顔色悪さで横になっていて、一言「腰が痛い」「寝返りキツイ」「喉乾いた」ペットボトルにストローを刺しキャップをつけ、お嫁さんに渡す。 背中、腰を黙ってずーうううっとさすってました。
時に、私いるかなぁ??なんて思いながら、さすって、仮眠して、3時間、促進剤注入して、朝六時に分娩台に入りました。
ここでも手を握って、ストローから水分与え、「頑張れ!」と言う事しかできません。助産師さんの新生児抱っこのレクチャー受けている間に頭が出てきたらしいです!!!
若い男の先生が来たときは少々嫌な感じで、チェンジお願いしようかと思いましたが、そうゆうお店では無いので我慢しました。そんなこと考えてる余裕もなかったです。
先程頭が飛び出したので、後はお手のものです。
7時32分に誕生。何とも言い難い感動です。
2764キロガッツ石松似で、何するにも可愛くて、泣くのも一生懸命だし、顔は私似で残念でしたが、今は程良く似なくなりました。
出産した翌日の病院のご飯が豪華だったみたいです!
たまたま病院も駅から自宅の通りにあるので、仕事帰りに必ず寄っては『石松だなぁっ』て。ガラス越しに見るので、まさに動物園のようでした。
私は帰宅しては、引越ししたての家の整理+ベビーベットを組立て。張り切って、赤ちゃんが来るための部屋づくりを想像とイメージトレーニングをしていました。私のベビーベットは、ベットの下が収納になってますので、かなり便利です。
退院して、一ヶ月はお嫁さんは実家で子供と過ごす事になりました。
長く寂しい一ヶ月の一人暮らしになりそうでしたが、これまた、お嫁さんの実家が大口駅から歩いて5分のパン屋です。毎日仕事帰り、苦手だったお嫁さんの実家に寄り、子供の様子を見に行きました。
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