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愛から知る自分のアイデンティティ



突然だが、みなさんは愛する人に
愛を伝えているだろうか?


日本人は国民柄
「愛している」という言葉を
使いたがらない傾向があるように感じる。
特に平成以前に生まれた人々にとっては、
そういった言葉を直接使用するのではなく、
”空気で読む”というのが美徳と考えられていたようだ。


私は幼い頃から
自己主張が強いタイプだったので、
好きな人には好きだと伝えてきた。
ウサギや花が好きというのと同じ感覚だ。
なぜ好きなのに好きと伝えないのか、
周りを見ていて不思議に思っていた。



中学生の頃、
洋画にどっぷりハマった私は、
"I love you"という言葉を
身近に感じるようになった。
それだけでなくハグやキスなども
日常的なボディーコミュニケーションだと知った。


だが自分の周りを見渡しても
そんなことを口にしている人もいなければ、
ハグやキスを公共の場でしている人もいない。
一体どういうことなんだ?
私が田舎に住んでいるからなのか?



私は両親に
「愛してる」や「大好き」と
言葉にして伝えられたこともないし、
強く抱きしめられた記憶もない。


映画とは随分違う。
私は両親に愛されていないのかもしれない…
そんなふうに考えたこともあった。
メディアの影響とは恐ろしいものだ。


成長していった私は、
恋人に向けて
「愛してる」や「大好き」という言葉を
頻繁に使うようになっていた。
とんだアメリカかぶれである。
ボディーコミュニケーションも使っていたが、
人前では恥ずかしがる日本人男性が多かった。



アメリカに移住してからは、
”I love you"という言葉が
更に身近な存在となった。
恋人だけでなく、
家族・友達・ペット・仕事仲間…
様々な関係間でこの言葉は使われている。
それにハグやキスなんて日常茶飯事だ。
やはり映画は真実を表していたのか。


海外の人たちは
”I love you”を言う頻度が全く違う。
私の旦那さんの狸も
朝から晩まで”I love you”と私に伝えてくれる。
”I love you”と伝えるのは
普通のことだと考えていた私だが、
言ったとしても1日1回言うか言わないかだ。
狸の”I love you"の言葉の嵐に
正直お腹いっぱいである。



アメリカに移住してから
友達や恋人から”I love you"と言われたり
ハグをされたりすると、
何とも言えない違和感があることに気づいた。
小っ恥ずかしいといった感じだ。


なぜこんな恥ずかしいと思うのだろう?
そんな疑問を数年間抱き続け、
ある1つの答えにたどり着いた。



私は相手には「愛している」と
伝えづづけてきたが、
相手からその言葉を貰ったことが
少なかったからだ。


日本にいる家族・友人・元彼たち…


彼らに決して愛されていなかったわけではない。
たくさんの愛情を注いでもらった。
ただ愛の言葉やボディーコミュニケーションが
アメリカと比べると極端に少なかったため、
私に違和感を感じさせたのだ。



未だに"I love you” と狸や友達、
アメリカの家族に言われると、
やはり何だか照れる。


だが、この小っ恥ずかしさが
日本人であるidentity(アイデンティティ)
を私に感じさせるのだ。


ニーチェは言った。

自分を知ることから始めよう

自分についてごまかしたり、自分に嘘をついたりしてやりすごすべきではない。自分に対してはいつも誠実であり、自分がいったいどういう人間なのか、どういう心の癖があり、どういう考え方や反応をするのか、よく知っておくべきだ。

なぜならば、自分をよく知っていないと、愛を愛として感じられなくなってしまうからだ。愛するために、愛されるために、まずは自分を知ることから始めるのだ。自分さえ知らずして、相手を知ることなどできないのだから。

『曙光』 超訳 ニーチェの言葉



兎アート🎨アクリル画



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