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農民の子は農民である

私は東北生まれの田舎もんだ。
山もあるし海もある。
そんな自然豊かな小さな村の農家の家庭に生まれ、
恵まれた環境でのびのびと育った。


祖父母や両親は
自分たちで食べられる野菜は育て、
花を植え、
森の木の実や山菜を摘み、
質素であり、
そして丁寧な暮らしをしていた。



私は小学生くらいから、
既に村での暮らしに飽き飽きしていた。
自然はあるがこれと言って刺激になるものがない。
遊ぶ友達も保育園から一緒の面々だ。


中学になるとファッションや映画の影響で、
「こんな田舎くさい所に住んでられない」
と思うようになっていた。
チャランポランの私は
中学を出たらアメリカへ飛ぶと言いだし、
両親を疲弊させていた。


勘違い野郎


そして色々端折るが、
私は16才を迎える前に結局田舎を去った。
大都会東京で暮らした後、
中学の頃から夢見ていたアメリカ(ニューヨーク)に身を置いた。


野心のあった兎という若造は、
大都会の高層ビルやギラギラとしたネオンライト、
そして同じくやる気に溢れた若者達の中に入り、
自分自身を高めようとしていた。

私がいるべき場所はここだ(ニヤリ


そう言い聞かせていた。
根性のこの字もない上、頭も悪いくせに、
絶対に成功してやると意気込んでいた。
頭の悪い若造とは怖い物知らずなのである。


勘違い野郎❷



しかしその当時は実際に行動力はあったし、
今と違ってある程度のコミュ力と愛嬌もあった。
だからこそ掴めたチャンスもあったのは事実だ。


そんなバカの覚醒が始まっている中、
自分の近くで夢やヤル気のない人を目にすると、
関係ないのにイライラしていた。
相手からしたらとんだ大きなお世話である。



だがそんな私もニューヨークの荒波に
ザブンと飲まれていった。
そして見事に溺れかけ、
急死に一生を得た私は心身ともに弱っていた。


弱った兎を知りたい方はこちらから👇



人は弱ると何かにすがりたがったり、
心から安心できる場所を欲しがったりする。
小僧からいつの間にか中年になっていた私は、
なんとも都合のいい話だが
故郷を思い出すことが多くなっていた。


家族はもちろん、保育園からの幼馴染や友人達、
そしてあののどかで美しい自然が
恋しくて恋しくて仕方なくなった。


だがあんなに啖呵切って田舎を飛び出し、
好き勝手やってきた私の人生を考えれば、
今さら両親や友人達に甘えるなど
許されるはずもないと思った。


田舎を飛び出した頃


こんな状況ですら素直に人に甘えることもできないなんて、私という人間は心底臆病者なのだ。


そして時は流れ、
本格的に山に登りだしてからは、
若い頃とは反対に
都会を離れることしか考えられなくなった。


都会を離れて田舎で暮らす。




あんなに出たがっていた田舎なのに、
田舎暮らしに戻りたいと思うようになって
ようやくこの大馬鹿者は気づいたのだ。


隣りの芝が青く見えていただけなのか…


雑誌やテレビで見る大都市での生活は、
キラキラして見えていた。
夜になっても明るい街並み、
オシャレで綺麗で便利で
遊ぶ場所はたくさんある。
素敵なレストランやバーだって数えきれない程ある。


勘違い野郎❸



片や私の村には電灯も少なくて、
夜になったら人っ子1人歩いてやしない。
近くに24時間のコンビニも無いし(今はある)、
オシャレなレストランやバーなんて皆無。
あるとしたら、地元民が集まる個人経営の居酒屋とスナックだけだ。


そんな所だけど、
両親や祖父母が愛情を沢山そそいで
大事に育ててくれた田舎での暮らし。
馬鹿ばっかりしていたけど、
私が帰郷すれば必ず集まってくれる友達たち。
そしていつもすぐそこにあった自然豊かな環境。


2023年5月に私はニューヨークを離れた。
今でも覚えている。
何とも言えない安堵感に包まれたことを。
やっと長年住み続けてきた大都会での暮らしに
終止符をつけれたのだ。


サンディエゴへ向かう一向


未来の移住先を考える会(私と狸)では、
田舎暮らしでどんなことをしたいのか話したりする。


私が話す内容といえば決まってこうだ。


祖父母や両親のように
自分たちで食べられる野菜は育て、
花を植え、
森の木の実や山菜を摘み、
質素であり、
そして丁寧な暮らしがしたいと。


農民の子はやはり農民なのだ。

兎アート🎨
ザトウムシと仲良し🕷️




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